◆転換期

経産省がついに、再生可能エネルギーの発電コストが原発を下回り、最も安いことを認めました。国は相変わらず原発推進ではありますが、潮目が変わったのかもしれません。だとすれば、2021年7月12日は後世で着目される日になるでしょう。

このまま原子力村に忖度していては、世界に取り残されることは間違いなく、原発擁護はもう限界に近付いていると言うことなのでしょう。コロナ禍に隠れてとりたてて大きなニュースにはなっていませんが・・・。

かつては、国の後押しもあってシャープが太陽光発電では世界をリードしていましたが、その後の政府の無策によって今や見る影もありません。資源のない日本において、これは取り返しがつかない失政です。

10数年前、大学院で再生可能エネルギー関連の研究を始めた時、国は廃炉費用など含めたLCCを計算から除外して原発コストを5.9円/kwとしていたことにあきれ果て、ブログ等で国の無策を訴えてきましたが、ようやく軌道修正してきたかと思います。

国の軌道修正で、頑固な保守層も軌道修正することを願うばかりです。例えばこの6月議会では、市民団体から「再生可能エネルギー電力の割合を高めるよう国への意見書提出を求める請願」が出されましたが、趣旨採択として否決されました。

さらには、本会議での私の賛成討論の最中には反対議員からヤジが飛ぶ始末です。彼らは請願の紹介議員が気にくわないからと反対しているように見えなくもありません、とまれその様子を多くの市民が見ていることも、請願に反対することの論拠が希薄なことも気付いていないのかもしれませんが、「それでも地球は動いている」ようにそれでも原発は過去の遺物になりつつあると思います。

https://mainichi.jp/articles/20210712/k00/00m/020/032000c

<引用開始>

原発の発電コスト上昇、太陽光などより高く コスト優位性揺らぐ

毎日新聞 2021/7/12 09:56(最終更新 7/12 22:16)

 経済産業省は12日、原子力や火力、太陽光などの発電コストについて2030年時点の試算を有識者委員会に示した。最も安い電源が原発から事業用太陽光に代わった。原発は東京電力福島第1原発事故を踏まえた安全対策費の増加などを反映して、前回15年の試算より1割程度上昇。1キロワット時あたり「11円台後半以上」となり、政府や電力業界が訴えてきたコスト面の優位性は揺らぐことになる。

 この試算は、近くまとめる予定のエネルギー政策の中長期方針「エネルギー基本計画」などの前提となる。政府は原発には出力が安定し、温室効果ガスを発電時に排出しない利点があるとして引き続き活用する方針だが、試算結果は議論を呼びそうだ。

 原発の発電コストを巡っては、04年には他の電源に比べて圧倒的に安い「5・9円」と試算しており、原発を推進する根拠の一つにしていた。しかし、福島原発事故後の11年には、事故の賠償や除染費用などもコストに算入して、上限を示さない「8・9円以上」に増額。15年も安全対策費などの増加を踏まえて「10・3円以上」としていたため、6年ぶりとなる今回の試算に注目が集まっていた。

 一方、50年の温室効果ガス排出実質ゼロに向け、政府が拡大する方針の再生可能エネルギーは、軒並みコストが低下した。事業用太陽光は1キロワット時あたり「8円台前半~11円台後半」となり、全電源の中で最も安くなった。大規模な再エネ電源として期待される洋上風力は「26円台前半」となった。

 化石燃料を使う電源では、石炭火力が「13円台後半~22円台前半」、液化天然ガス(LNG)火力が「10円台後半~14円台前半」だった。

 いずれも30年時点で発電施設を新設した場合を想定した試算。発電量が一定ではない電源が増えた場合に変動を送電網全体で吸収するための負担や、発電時に生じた二酸化炭素を取り出して貯留する新技術導入のコストなどは試算に含まれていない。【岡大介】

<引用終わり>

◆最先端を行く我が街の都市政策?

我が街蓮田の政策やその優先順位には、首を傾げることが多く、それを正すべく市議になりました。市議になるまでは同業協会の街づくりセミナーの講師も務めその講義の中で、やってはいけない都市計画や街づくり計画の事例として、蓮田市の事例をとりあげたほどで、バカげた事例には事欠かない我が市の都市政策です。

ですが、その一方で総合振興計画の土地利用構想図やそれと連動した都市計画法34条12号の区域指定などは、かなり高度な都市経営センスと知識を要するもので、並みのコンサルでは考えつかないものです。このギャップは一体どこから来るのか不思議でした。

いったい誰がこのように高度な深慮遠謀を持っていたのかを職員に聞いても、何のことか分からないといった様子なので、謎は深まるばかり。

事の良し悪しは置いといて、例えば都市計画決定した既定の再開発の事業区域を都市計画変更(しかも中抜きで)するなど、都市計画のプロであれば想像することすらできないような計画技術的には超ウルトラCをやってのけるなど、我が街の都市政策はダメな事例と最先端を行く事例が共にあり、このギャップが実に不思議です。

◆議長の忖度はあるか?

今議会で議長に選出された斎藤昌司議長による審議員等の選定に対し私は都市計画審議会への参加を第一に希望しました。

私の都市計画や街づくりする技術士等の資格、中核市における都市政策顧問を務めた経験実績は、日本中探してもそうはいないはずなので、自分で言うのは何ですが少なくとも蓮田市の議員の中では客観的に見て最適任者のはずと自負しており、我が街のために貢献すべきとの考えからです。

ですが、このような専門家が都市計画審議会にいると市長が仮にお手盛りの都市計画を通そうとするなら、やりにくくなるので嫌われるはずです。斎藤昌司議長がまたもや市長に忖度して私を外すか受け入れるかは見ものですが、もし私を外すならばその理由を市民の皆様に知らしめるべく理由の明示を要望しました。

以上が結論、以下に詳述します。

ただいま市中に配布中の私の議会報告において、斎藤昌司議員が市長に忖度してか、当の市長が問題にもしていない私の議会報告ビラの内容にクレームをつけたことを、憲法21条に反する行為として書いたところですが、その斎藤昌司議員が今度は議長に選任されました。

蓮田市議会ではこれまで議長は年功序列的に古参議員がなってきたようですが、斎藤昌司議員はまだ2期目です。市長派と目される最大会派に属し前議長も議会運営委員長もこの会派でしたし、同会派の一年生議員は全て常任委員会の副委員長を務めました。最大会派故の権勢の誇示のつもりなのでしょうか。

議長選出に際しては、その最大会派代表とともに斎藤昌司議員が各会派室に訪れ斎藤昌司議員を議長に推薦するのでよろしくと根回しをしていたので、ご本人の希望なのでしょう。やりたがるのは当人の勝手ですが、その前提として当然に議長としての職務を理解している必要があります。

つまり二元代表制のことです。市長と議会は緊張関係をもってお互いをけん制していくことが二元代表制の意義ですから、仮にいくら市長派であったとしても議長に就任するからには、市長に忖度などもってのほか、議会の議長として二元代表制の健全なる運営に尽力されるよう期待します。

そこで私は議長の最初仕事となる付属機関の委員選定に対し、都市計画審議会へのエントリーを強く希望しました。これは前回も希望しましたが議長からは却下された経緯があります。全部で35ある付属機関の委員に内規で議員の参加が義務付けられていましたが、私の都市計画審議会だけのエントリーはけしからんとのことのようでしたが今回は全ての付属機関にエントリーした上で都市計画審議会を強く要望したわけですから文句はないはずです。

ではなぜ前回は都市計画審議会だけエントリーし、残りの付属機関にはエントリーしなかったのかといえば、出席すると報酬があり議員報酬との2重取りになるからであるのと、法理論的に首長の諮問機関である付属機関(=一般に〇〇審議会といいます)に議員が参加することは問題があり、全国市長会もこれをやめるべきとの見解を示しているからです。つまり蓮田市議会の内規はコンプライアンス上問題ありとの判断からです。

私の会派ではこの報酬の2重取り禁止を提案しましたが議会で否決されました。それが昨年の議会改革の検討委員会において再検討され、議員の付属機関からの報酬は無給となり、参加も義務ではなく任意となったので、議員としてではなく任意での無給の参加が可能になったのですべての付属機関にエントリーしたというわけです。

では何故都市計画審議会に私が強く参加を要望するのかですが、都市計画審議会だけは、他の付属機関と違い法に議員の参加が規定され、私の専門分野であるからです。

他の付属機関への議員の参加は法的に問題があるのに、都市計画審議会だけが法律上議員の参加が規定されているのは、自治体行政の根幹をなす部分であり、二元代表制に鑑み議会の監視が必要だからではないでしょうか。

いづれにしても法的に議員の参加が規定されている唯一の審議会であり自分の専門分野となれば何としても私は都市計画審議会委員になって本市の健全な発展に貢献すべきと思う次第です。故にもしや首長がお手盛りの都市計画を決定しようとするならば、きっちり二元代表制の議員として監視しなければなりません。

しかし、あくまで推測ですがもしや斎藤昌司議長がまたもや勝手に市長に忖度するならば、私を都市計画審議委員から外すことが考えられますので、その場合はなぜ私を外したのか理由を聞き、広く市民の皆様にご報告したいと思います。

◆何が目的の地方政治なのか(その2)

先の拙HPでは去る3月議会における、中野政廣議長と齋藤昌司議会運営委員長からの1年生議員である私への圧力について書きました。

来週から始まる6月議会で、どう出てくるのか見ものです。何かあれば全てここに公開します。おそらく市長派と目されている議員さんたちは、何故私が圧力に屈しないのか理解できてないのだと思います。

それは地方政治に参加している目的の違いではないかと推測します。

古参議員曰く「現市長派の面々は、私を次期市長候補と目し、論理や政策論争ではかなわないので圧力を加えてきたのだろう、これまではかつてのボス議員がそのようなやり方で功を奏してきたので、ボス議員が居なくなった今も、そのやり方を踏襲しているが、どうやら福田さんには通じないようだね」とのこと。

圧力に屈すると思うこと自体私には理解できません。何故なら圧力に屈するとは屈することで何かが守れる場合でしょうが、私には守るものが無いからです。

よく言われたのは、市長になりたければ●●しろといった、助言です。当初は善意の助言だろうからとある程度は分かったフリをしていましたが、今は考えに整理がつき、善政を実行するのに無用な事や悪い影響を与えそうなことには一切妥協しないことにしています。

市長になろうと思えば、様々な妥協が必要なようですが、市長になることが目的ではなく市長になって善政を実施することが目的であると心の中を整理してみれば、もう市長になるためにと守るものがなくなり急に靄が晴れました。

例えば市長を目指すならば議員を敵に回すなと、さんざん忠告を受け、そうすべきとも思いましたが数を頼んで明らかにおかしな圧力を掛けてくるならば、そんな議員の圧力に屈して市長になったとしても善政から遠のくばかりと気付き、そうまでして市長になる気はないと割り切れば、どんな圧力も屁とも思わず、逆にそうした実態を市民に知らしめることこそ使命と思う次第です。

タブンこんな事を言えば、「ふん何をキレイ事を言ってるのか」と言われそうですが、ここが市長や議員になることが目的な者と、市長や議員になって街を良くすることが目的な者との違いで、前者には後者の考えは到底理解できずキレイ事としか受け止められないのでしょう。

意図したわけではありませんが近年、最悪の事態を覚悟して変に妥協せず正しいと思うことを押し通した結果、逆に全く想像もできなかった最善の事態が立て続けに起き、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある事を実感しました。

こうしたことが立て続けに起こって、世の中悪い方向にばかり進むわけではないなと、考えに迷いがなくなった次第です。 世の中悪い方向にばかり進むわけではないなとの思いは、このところ拙FBに書いた蓮田スマートインターチェンジ問題でも実感しましたが、長くなりましたのでこれについては明日「正直者がバカを見なくなりつつある」と題してアップします