日本学術会議の任命拒否事件は、我々日本人の正義感の踏み絵だと思います。
菅総理擁護派は一生懸命日本学術会議をバッシングしますが、どんなにバッシングしたところで、何故任命拒否したのか理由を言わない、いや言えない事を正当化する理由にはならないからです。
私がもし菅総理を尊敬し信じる立場であったならば、理由を言わない事には違和感を覚え、尊敬し信じる人物・組織の行為に対して説明を求められているのに、その必要はないなどと言っていたなら、尊敬の念も消えてしまうでしょう。
自分が尊敬し信じる人物・組織を擁護する気持ちは分りますが、その尊敬し信じる人物や組織の行為に対して説明を求められているのに答えないで隠ている事を擁護するとしたらその時点で、その人物や組織の行為に対して正しい事と信じていないことになります。正しいと信じているなら隠す必要は無いですからね。
擁護する相手を正しいと信じていない、つまり不正をしていると思っていて、その説明責任を拒否することを支持すると言う事は不正に加担している訳ですから、日本学術会議の任命拒否事件は、我々日本人の正義感の踏み絵だと思わざる得ません。
マンジュウに毒を入れただろうと疑われた時に、一口食えば済む事なのにそれを拒否してあれこれ説明したり、言いがかりに応える必要はないなどと言っても、疑惑は深まるばかりで、疑いが晴れることはありません。