◆タクシー運転手と安田純平氏

韓国映画の【タクシー運転手】のDVDを見ました。

韓国の光州事件という1980年頃の軍事政権下での民衆弾圧の実態を、ドイツ人記者ペーター氏が身分を偽って韓国に潜入し、それを体を張って護った韓国人タクシー運転手達の物語です。

 

タクシー運転手は、最初は単なる小遣い稼ぎで外国人記者を乗せていたのですが、次第に軍事政権の弾圧の酷さに目覚め、何とかこの弾圧の実態を世界に知らしめてもらおうと、命がけで外国人記者を助けるという実話の物語です。

 

自力では民主主義を勝ち得ず、アメリカによって自由主義をもたらせられた日本とは大きな違いです。それ故、韓国の余りにもしつこい日本への戦後補償要求には辟易するものの、民主主義や政治の成熟度ははるかに日本を凌駕している思わざるを得ません。

 

この映画を見て、先ず思ったのは、ドイツ人記者ペーターが氏安田純平氏とダブる事です。

 

ジャーナリストの身分では入国できないので、宣教師と身分を偽ってドイツ人記者は軍事政権による戒厳令下の韓国に潜入し、“弾圧されている国民が体を張って、この実態を世界に広めてほしいとドイツ人記者に託し、”タクシードライバー始め韓国市民が、危険を冒し命をかけて、てこのドイツ人記者を守るのです。

 

普通にこの映画を見ていると、危険を冒して渡航したドイツ人記者は英雄に見えますし、少なくとも日本における安田記者バッシングのようなドイツ人記者の同胞であるドイツ国民が彼を批判するなどということは想像も出来ません。

 

では、自業自得や自己責任として批判を受けている安田純平氏と何が違うのでしょうか。件のドイツ人記者は本国から韓国へ行くなと止められていたか否かは分かりませんが、潜入する相手国から入国拒否されていることは同じ、騒動が起きている地域の市民から実態を世界に知らしめてほしいと思われていることも同じ、違いは現地で逮捕されたか否かですが、それとて現地の人々の手助けで脱出できた点では同じですから、あえて言えばドイツと日本の国民性の違いでしょうか。

 

何故日本人は重箱のど真ん中にてんこ盛された事実即ち「抑圧された市民の実態を世界に報道する行動」を全く評価せず、「渡航禁止された地域に勝手に行った」とか「謝罪や感謝が無い」とかといった重箱の隅ばかりを問題視するのか。

 

日本人は臆病者だけではない、中にはジャーナリストとして政府の制止を振り切って紛争地帯に行った猛者がいて、3年半もの長期にわたり軟禁されて生還したのに、それを喜ぶどころかバッシングするとは・・・、バッシングに血眼になっている人々の価値観はいったい何なんだろうか、そしてそうした人々の価値観の優先順位は何なんだろうか?

 

常に安全なところに身を置き、無難な言動しかせず、他人に対してはプラスの評価はせず減点評価のみで、出る杭を血眼で探し叩く人々なのではないだろうか。

 

以上は、私の主観ではありますが、成功するしないに関わらず、組織や権威などを頼らずに、普通の人がやらないようなチャレンジをしたことが有る人には、ご理解いただけるものと思い書いた次第。

◆安田純平氏批判への違和感

安田純平氏が政府の渡航禁止を批判して勝手に紛争地帯に行って拉致されたことを指し、自己責任とかで批判されていますが、なんと言うかまあ味噌もクソも一緒の話だと思います。何故なら・・・

第1に、彼は戦場ジャーナリストです。我々が知りたい戦場の実態を取材するために政府の制止を振り切って紛争地帯に行ったわけで、物見遊山で行ったのではありません。NPOとかNGOを標榜する素人が勝手に紛争地帯に入り拉致され、身内が何故日本政府は助けないのかと高飛車に文句を言った事案とは全然前提が違い、味噌もクソも一緒になっています。

第2に、安田純平氏は自己責任で行って自己責任で帰ってきているように思います。ネットで流布された動画では確かに助けてくれとは言っていますが、言わされた感が強く、暗号で(要求を)6446無視しろと伝えているとのこと。何より泣き叫んで懇願している様子もなく毅然としていたのが印象的です。

但しこの辺は正確な情報が判然としないのであくまで私の主観です。安田純平氏が助けてくれといっていたことを額面通り厳格に受け止めるならば、そもそもウマルなる韓国人としての訴えであり安田純平としてではないし、日本政府は身代金要求には一切応じなかったという話も額面通り受け取らなければおかしい。とすれば、安田純平氏が助けてくれと言ったことは日本政府にも我々日本人にも何ら関わりが無く、単に多くの日本人が関心を示しただけと言うことなので、自己責任云々で彼を批判するのはお門違いもいいとこでしょう。

要するに、安田純平氏が勝手に危険地帯に渡航し取材し、勝手にゲリラに捕まり、勝手に釈放されてきたわけで、これといって日本政府の手を煩わせたわけでも迷惑をかけたわけでもないので、まさに自己責任で完結していることを、何故こうも批判されるのか、ヘンな話と思った次第。

そして、日本人の情報源は彼の取材以外に無い上、同胞である日本人が特段の迷惑も損もこうむってもいないのに彼をバッシングする様は、外から見れば異様に見えるのではないでしょうか。

これは安田純平氏にとっても、批判する人々即ち日本人にとっても不利益しかかもたらさず実に不幸なことです。

日本政府は、こうした拉致に身代金を払わないと言明していますので、今後もその方針を守り、渡航禁止区域に行くならば自己責任として関知しないことを改めて言明すればよいだけのように思います。

◆ 自分の目で確かめる~その2

少し前、FB友達が引用していたサイトの記事に沖縄知事選における玉城デニー氏の選挙違反の数々として、違反ポスターが那覇市内に溢れていて、選管に野放しで良いのかと訴えた、というような内容が書かれていました。

読んですぐに違和感を覚えたのが、文章には「ポスターが市内に溢れ」と違反でも何でもない事を書き、違反を思わせる電柱への掲示写真を挿入することで、あたかも違反ポスターが溢れているように思わせる書き方でした。

で、バカンスに行く途中9/13告示後の15日に沖縄に立ち寄り実際に確かめてみると、少なくとも私が見て回った那覇市、糸満市、名護市から国頭村にかけてでは、この記事とは真逆で、佐喜真淳氏の2連ポスターがそこいら中の電柱に掲示されていました。対して玉城デニー氏の2連ポスターは那覇市内では見ることはできず、糸満市では散見したものの、そこには違反警告が張られていました。

玉城デニー氏の2連ポスターの選挙違反の数々を糾弾するかのような書き方の記事でしたが、事実は真逆で圧倒的に佐喜真淳氏の2連ポスターが都市部始め地方部まで電柱に掲示され、さらには名護市ではデカデカと一人ポスターと思しき横断幕まで目立つ交差点に掲示されていて、こんなのアリ?と唖然とした次第。

では玉城デニー氏は全く違反していないのかと言えばさにあらず、地方部では撤去忘れのように電柱に2連ポスターが散見されたので、沖縄のローカルルールでは選挙期間中の2連ポスターはおろか公共物である電柱への掲示もOKなのかと目を白黒させた次第、いったい公職選挙法はどうなっているのでしょうか?

もっと驚いたのは、糸満市では玉城氏のポスターには撤去警告が張られ、佐喜真氏は沖縄中全く野放しどころか名護市ではどでかい横断幕までゆるされている事で、圧倒的な力の差が見てとれ、あたかも玉城デニー氏が弾圧を受けているような印象で、政権与党ならなんでもやりたい放題なのかと、暗澹たる気分になりました。

ここで沸いた疑問が二つありました。一つ目は、佐喜真氏を勝たせたいにしてもFB始めネット上では玉城陣営が違反をしまくっているとの情報は、実態を知らない県外の人は信じても有権者である現地沖縄の市民は現実を知っているわけで、いったい何の意味があるのか不思議でなりませんでした。

二つ目は、これだけ違反をやっている佐喜真氏が何の咎めも受けず、散見される撤去忘れのような玉城デニー氏のポスターには違反警告のシールが張られていることに対し沖縄の有権者はどう感じているのかです。

ついでに言えば、玉城氏は弱小政党の後押しで国会議員の職を辞しての立候補に対し、佐喜真氏は政権与党の後押しで市長職を辞しての立候補ですから、この意気込みの差、賭しているものの差を有権者はどう捕らえているのかも興味が尽きないものでした。

他県の知事選なので、当方の関知するところではありませんが、既に出た選挙結果がこの疑問への回答であり、私は玉城氏を応援した野党を支持もしませんが、ああ沖縄県民は良識的な判断を下したのだなあとつくづく思いました。

(補足)

【2連ポスター】=選挙半年前から選挙告示までの間は、候補者一人のポスターは禁止、ポスター1枚に2人以上が印刷されたもの(これを2連ポスターという)のみが政治活動として掲示が許される。選挙告示から投票日までの選挙期間中は候補者名の入ったポスターの掲示は禁止、役所が設置した選挙ポスター掲示板のみにA3サイズの選挙ポスターのみ掲示可。ところが、佐喜真候補は2人ポスターはおろか、一人のみの横断幕をでかでかと掲げていてお咎めなし、かたや玉城候補の2連ポスターには警告のシールが張られていて、とても公明・公平な選挙が行われている雰囲気には程遠いものでした。

【電柱への掲示】=選挙活動は勿論政治活動の2連ポスターの電柱などの公共物への掲示は違法です。ただし公選法はグレーゾーンだらけなので、沖縄県のローカルルールではアリなのかと思いましたが、玉城候補の2連ポスターには違法ゆえ撤去せよとの警告文が貼られていました。選挙期間中の2連ポスターが違反なのか、電柱への掲示が違反なのかはあるいは両方なのかは不明ですが、もっと大々的にやっている佐喜真候補はお咎めなしでした。

【公選法違反】=公選法はグレーゾーンだらけゆえ、検挙もグレーだらけで、官憲の思惑で簡単に逮捕されてしまいます。故に本稿もいくら事実でも選挙期間中では、後でどんな言い掛かりを付けられるか分からず、君子危うき近づかずで、選挙終了後にアップした次第。

■思いが強すぎると・・・

<引用開始>
金平茂紀「翁長知事の壮絶な死去をうけ沖縄県知事選挙は前倒しになった」

CM明け

玉城デニー「私は翁長雄志知事の遺志をしっかりと引き継いだ!」#報道特集 は翁長前知事の死を強調した後に、玉城デニーの選挙運動の様子を放送。
特定の候補者を応援しようと意思が露骨すぎる
<引用終わり>

玉城デニーが「私は翁長雄志知事の遺志をしっかりと引き継いだ!」と演説している事を報道することが何故「特定の候補者を応援しようと意思が露骨すぎる」となるのでしょうか?

文を理解できず単語に反応するデニー嫌いには受けるでしょうが、同じく単語に反応するデニー好きは対立陣営の報道に対し応援していると騒ぐのでしょうか?

「特定の候補者を応援しようと意思が露骨すぎる」のはデニー嫌いの思いが強すぎるこの記事の作者自身では?

論理の余りの程度の低さに絶句した次第。

(他所の県のことなのでどなたが勝とうと関知しません、本稿の論点は結論(=主張や批判)に至る論理構造ですので念のため)

http://news4global.com/tbs%E3%80%8E%E5%A0%B1%E9%81%93%E7%89%B9%E9%9B%86%E3%80%8F%E3%81%AE%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E9%81%B8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%80%81%E7%89%B9/