◆何が目的の地方政治なのか(その2)

先の拙HPでは去る3月議会における、中野政廣議長と齋藤昌司議会運営委員長からの1年生議員である私への圧力について書きました。

来週から始まる6月議会で、どう出てくるのか見ものです。何かあれば全てここに公開します。おそらく市長派と目されている議員さんたちは、何故私が圧力に屈しないのか理解できてないのだと思います。

それは地方政治に参加している目的の違いではないかと推測します。

古参議員曰く「現市長派の面々は、私を次期市長候補と目し、論理や政策論争ではかなわないので圧力を加えてきたのだろう、これまではかつてのボス議員がそのようなやり方で功を奏してきたので、ボス議員が居なくなった今も、そのやり方を踏襲しているが、どうやら福田さんには通じないようだね」とのこと。

圧力に屈すると思うこと自体私には理解できません。何故なら圧力に屈するとは屈することで何かが守れる場合でしょうが、私には守るものが無いからです。

よく言われたのは、市長になりたければ●●しろといった、助言です。当初は善意の助言だろうからとある程度は分かったフリをしていましたが、今は考えに整理がつき、善政を実行するのに無用な事や悪い影響を与えそうなことには一切妥協しないことにしています。

市長になろうと思えば、様々な妥協が必要なようですが、市長になることが目的ではなく市長になって善政を実施することが目的であると心の中を整理してみれば、もう市長になるためにと守るものがなくなり急に靄が晴れました。

例えば市長を目指すならば議員を敵に回すなと、さんざん忠告を受け、そうすべきとも思いましたが数を頼んで明らかにおかしな圧力を掛けてくるならば、そんな議員の圧力に屈して市長になったとしても善政から遠のくばかりと気付き、そうまでして市長になる気はないと割り切れば、どんな圧力も屁とも思わず、逆にそうした実態を市民に知らしめることこそ使命と思う次第です。

タブンこんな事を言えば、「ふん何をキレイ事を言ってるのか」と言われそうですが、ここが市長や議員になることが目的な者と、市長や議員になって街を良くすることが目的な者との違いで、前者には後者の考えは到底理解できずキレイ事としか受け止められないのでしょう。

意図したわけではありませんが近年、最悪の事態を覚悟して変に妥協せず正しいと思うことを押し通した結果、逆に全く想像もできなかった最善の事態が立て続けに起き、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある事を実感しました。

こうしたことが立て続けに起こって、世の中悪い方向にばかり進むわけではないなと、考えに迷いがなくなった次第です。 世の中悪い方向にばかり進むわけではないなとの思いは、このところ拙FBに書いた蓮田スマートインターチェンジ問題でも実感しましたが、長くなりましたのでこれについては明日「正直者がバカを見なくなりつつある」と題してアップします

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