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最高裁が60年前の判例変更 宮城県の市議会処分めぐり:朝日新聞デジタル (asahi.com)
<引用開始>
地方議会が議員に科した出席停止処分の適否は裁判の対象となるかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)は25日、「対象になる」との初判断を示し、1960年の最高裁判例を60年ぶりに変更した。大法廷は「住民の負託を受けた地方議員としての責務を十分に果たすことができなくなるような処分の適否は、司法審査の対象となる」と理由を述べた。裁判官15人全員一致の意見。
訴訟では、宮城県岩沼市議だった大友健さん(71)が現職だった2016年に、議会から受けた23日間の出席停止処分の適否が争われた。1審・仙台地裁判決(18年3月)は判例に沿って裁判の対象にならないとして原告敗訴としたものの、2審・仙台高裁判決(同8月)は審理を差し戻し、市側が上告した。
大法廷は、地方議会による議員に対する懲罰は、議会の秩序保持や円滑な運営を目的としていると指摘。こうした地方議会の自律的な権能は尊重されるべきだと述べた。
一方で、住民自治を担う地方議員は、住民の代表として自治体の意思決定に関わる責務を負っているとし、出席停止が科されると、地方議員としての中核的な活動ができなくなると言及。懲罰の判断には地方議会に一定の裁量があるとしても、裁判所はその適否を常に判断できるとした。
その上で、市側の上告を棄却。2審判決が確定し、仙台地裁で処分の適否が審理される。<引用オワリ>
部分社会の法理については、何度か書いてきましたが、簡単におさらいすると、「日本の司法において、団体内部の規律問題については司法審査が及ばない、とする法理」です。
何、分かりにくい?ですよね。例えば「日本」を全体社会とした場合、この全体社会の一部となる社会を部分社会と呼びます、会社とか学校、団体などですね。
それぞれの社会に属するか否かの選択権があった上で属するとき、例えば入社とか入学のとき、社則や校則に同意したうえでその社会に入っていくしその規則は外の全体社会には及ばなければその社会の勝手で司法の範疇じゃないとの考えです。
なので、スカートの丈は何センチとかといった校則は基本的人権の侵害だといったところで、嫌なら退学すれば規制されない、つまり社会全体には及ばない単なる内部規定ですから、司法に訴えても却下されます。
この「部分社会の法理」という単語を目にしたのは昭和30年代の地方議員への除名処分無効申し立てに対する最高裁判決に関することだったと記憶していますが正確なところは覚えていませんので興味ある方は調べてみてください。
とまれ、この判決には自由意思で進学する学校ならともかく、直接選挙で選ばれた議員の身分や行動が議会内部で処分決定されることには、かなり無理があると思っていましたので、現代においては事実上無効であり、いづれ機会があれば判例変更されるだろうと思っていました。
昨年、議長と議会運営委員長から呼び出され、フェイスブックに自分たちの名前を書くのは申し合わせ事項違反だから削除しろ、しなければ懲罰どころか議会にかけて処分するぞと言われたので、いったんは消したご両人の名前を真実故復活させました。
その結果処分されたなら最高裁まで争い、判例変更の第一号になってやろうと思っていましたが、結局何も起こりませんでしたが、はからずもこの岩沼事件で判例変更が実現したというわけで、めでたしめでたしですが、我が街蓮田市議会においてはそうとも言えません。
というのも相変わらず議会申し合わせ事項には、インターネット等で情報発信する際、自分以外の議員の記事を掲載する場合、内容を議員に事前確認することとされているからです。いうまでもなくこれは憲法21条(集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由。検閲禁止等)違反ですから、もともと決めても何の効力もないわけで、そんな申し合わせ事項を地方政府の立法機関が決めていること自体、憲法すら理解できてないのでとても恥ずかしいことです。