◆部分社会の法理

このURLの記事がうれしくて引用しました。

最高裁が60年前の判例変更 宮城県の市議会処分めぐり:朝日新聞デジタル (asahi.com)

<引用開始>

地方議会が議員に科した出席停止処分の適否は裁判の対象となるかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)は25日、「対象になる」との初判断を示し、1960年の最高裁判例を60年ぶりに変更した。大法廷は「住民の負託を受けた地方議員としての責務を十分に果たすことができなくなるような処分の適否は、司法審査の対象となる」と理由を述べた。裁判官15人全員一致の意見。

 訴訟では、宮城県岩沼市議だった大友健さん(71)が現職だった2016年に、議会から受けた23日間の出席停止処分の適否が争われた。1審・仙台地裁判決(18年3月)は判例に沿って裁判の対象にならないとして原告敗訴としたものの、2審・仙台高裁判決(同8月)は審理を差し戻し、市側が上告した。

 大法廷は、地方議会による議員に対する懲罰は、議会の秩序保持や円滑な運営を目的としていると指摘。こうした地方議会の自律的な権能は尊重されるべきだと述べた。

 一方で、住民自治を担う地方議員は、住民の代表として自治体の意思決定に関わる責務を負っているとし、出席停止が科されると、地方議員としての中核的な活動ができなくなると言及。懲罰の判断には地方議会に一定の裁量があるとしても、裁判所はその適否を常に判断できるとした。

 その上で、市側の上告を棄却。2審判決が確定し、仙台地裁で処分の適否が審理される。<引用オワリ>

部分社会の法理については、何度か書いてきましたが、簡単におさらいすると、「日本の司法において、団体内部の規律問題については司法審査が及ばない、とする法理」です。

何、分かりにくい?ですよね。例えば「日本」を全体社会とした場合、この全体社会の一部となる社会を部分社会と呼びます、会社とか学校、団体などですね。

それぞれの社会に属するか否かの選択権があった上で属するとき、例えば入社とか入学のとき、社則や校則に同意したうえでその社会に入っていくしその規則は外の全体社会には及ばなければその社会の勝手で司法の範疇じゃないとの考えです。

なので、スカートの丈は何センチとかといった校則は基本的人権の侵害だといったところで、嫌なら退学すれば規制されない、つまり社会全体には及ばない単なる内部規定ですから、司法に訴えても却下されます。

この「部分社会の法理」という単語を目にしたのは昭和30年代の地方議員への除名処分無効申し立てに対する最高裁判決に関することだったと記憶していますが正確なところは覚えていませんので興味ある方は調べてみてください。

とまれ、この判決には自由意思で進学する学校ならともかく、直接選挙で選ばれた議員の身分や行動が議会内部で処分決定されることには、かなり無理があると思っていましたので、現代においては事実上無効であり、いづれ機会があれば判例変更されるだろうと思っていました。

昨年、議長と議会運営委員長から呼び出され、フェイスブックに自分たちの名前を書くのは申し合わせ事項違反だから削除しろ、しなければ懲罰どころか議会にかけて処分するぞと言われたので、いったんは消したご両人の名前を真実故復活させました。

その結果処分されたなら最高裁まで争い、判例変更の第一号になってやろうと思っていましたが、結局何も起こりませんでしたが、はからずもこの岩沼事件で判例変更が実現したというわけで、めでたしめでたしですが、我が街蓮田市議会においてはそうとも言えません。

というのも相変わらず議会申し合わせ事項には、インターネット等で情報発信する際、自分以外の議員の記事を掲載する場合、内容を議員に事前確認することとされているからです。いうまでもなくこれは憲法21条(集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由。検閲禁止等)違反ですから、もともと決めても何の効力もないわけで、そんな申し合わせ事項を地方政府の立法機関が決めていること自体、憲法すら理解できてないのでとても恥ずかしいことです。

◆分からないことを分かったつもりで、あれこれ言う風潮に疑問

コロナが蔓延し始めた3月頃、専門家でもないのに、たかが風邪の一種だと言ったりあれこれ言うのはどうかと書きましたが、同じことをアメリカ大統領選挙にも言え、分からないことを分かったつもりで、あれこれ言う風潮に疑問を感じています。

トランプ氏の往生際の悪さは呆れてしまうけれど、それは事実とは無関係のトランプ氏の負けが間違いない場合を前提とした印象です。事実は我々にはまだ分からないので、あくまでトランプ氏の風貌や言動に起因する印象からの推測に過ぎません。

多くの方が、あたかも悪役トランプに対する清廉潔白なバイデン氏が市民の支持を得て勝ったかの様に思っているようですが、事実はバイデン氏もトランプ氏も共に史上最多の7000万票超の得票を得ているということです。

これが分かりえる明らかな事実です。では私はどう思うかと言えば、トランプ氏の言動には嫌悪感を覚え、あれが世界のリーダー?と思っています。おそらく大多数の方特に知識層の大半は同じ思いでしょう。

ですが、これはあくまで主観的に希望を織り交ぜた個人の感想に過ぎません。事実はこうした思いとは別です。

この点を考慮すると、今回菅総理が各国首脳がバイデン氏にコンタクトしたのを見て電話会談に踏み切ったのは、まあ最良の選択でしょう。勝ち負けが確定しない段階で先走ってバイデン氏にすり寄って、万一トランプ氏が逆転したら目も当てられないでしょうから、とりあえず各国の動向に合わせるしかないと思います。

菅総理の日本学術会議任命拒否に関するしどろもどろの回答にはトランプ氏同様に往生際の悪さを感じますが、こちらは動かしがたい事実が前提なので、事実として菅総理には呆れるばかりです。

ですがそのことと、菅総理のバイデン氏への対応評価は全く別問題ゆえ、この点は評価する次第。

日本学術会議任命拒否問題

この問題、そんなに難しい問題ではなく明らかに菅総理の間違いだと思うし、姑息な論点ずらしが通用する相手ではないのでさっさと白旗上げた方が良い、そうしないと泥沼にはまると以前書きましたが、まさにその通りになってきました。

論点ずらしにそうだそうだと同調する人は、ハッキリ言ってあまりオツムがよろしくない。どんなに同調し大きな圧力となったところで、当人たちが勝手にそう思うだけで法治国家である以上、法解釈の変更を明示していない限り同調圧力の効果はゼロ、ゼロは何個集めてもゼロ故、無意味です。

●日本学術会議法 第七条

 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

●日本国憲法 第六条

 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

<ウィキペディアより引用開始>

1983年に会員選定が選挙から推薦制に変更された際、政府は国会答弁で「総理大臣の任命で会員の任命を左右するという事は考えておりません」「任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうに私どもは理解しておりません」「その推薦制もちゃんと歯どめをつけて、ただ形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」「政府が干渉したり中傷したり、そういうものではない」と政府答弁を行っている[16]。 また、当時の中曽根康弘首相も国会で「学会やらあるいは学術集団からの推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば」と形式的任命であると答弁している[17][16]。

注)[16]: ^ a b “日本学術会議 昭和58年の政府答弁「形だけの任命をしていく」”. NHKニュース. 日本放送協会. 2020年10月10日閲覧。“菅首相の任命拒否に「違法性」?学術会議の推薦、過去答弁との矛盾。解釈変更はあったのか”. BUZZFEED. 2020年10月11日閲覧。”第100回参議院文教委員会第2号昭和58年11月24日国会会議録”. 2020年10月11日閲覧。

注)[17]:^ 夕歩道中日新聞 2020年10月2日

<ウィキペディアより引用終わり>