◆議員でも職員の意識改革ができる


とは思ってもみませんでした。なので、もし私が市長になったなら、まずはここから始めようと考えていたのですが、この9月議会で気付いたのは、議員でも市役所職員の意識改革はできるのだとの手ごたえでした。


1年前の9月議会では、補正予算の組み方があまりにもズサンなので、それを追求し反対討論を行いました。例えば3か年の債務負担行為の予算取の理由を聞くと単年度より安上がりというので、単年度の見積もりと3か年の見積もりの単価を問うと同じだったり、ボーリングなどの調査内容を聞くと答えられなかったりと呆れてしまいました。


何より、リースの無駄を追求し、実際に起債と比べてどれくらい市の予算に無駄が生じるかを示し、12月議会でも引き続き追求しました。こうしたことは、血税を使っているとの意識があれば、あり得ないことで、そこを先ず理解してほしくて追求した次第です。


昨年の12月議会では、ついに過ちを認める答弁を引き出しまし、その結果、あれほどあったリースがすっかり無くなり、一部では未だあるものの追求したところ、継続契約への追加だったり他に選択肢が無い状況等が分かりましたし、予算の取り方も昨年のようないい加減なものはすっかり無くなりました。


これは嬉しい誤算でした。議会でこっぴどく追及されれば、さすがに同じことはやらないようで、本当に意識が変わったかは心の内を見たわけではないので何とも言えませんが、少なくとも昨年のようないい加減な補正予算要求が無くなったことは事実です。


昨年は今までこんないい加減なことがまかり通っていたのかと市長のリーダーシップに呆れ、これが職員上がりの市長の限界かと思ったのですが、考えてみれば市長にそこまで職員の作業内容をチェックすることは不可能で、むしろ予算内容のチェックや審議は議会の仕事ですから、どちらかと言えば議会がチェック機能をはたして来なかったということかもしれません。


議員が、支援者の要望を通そうと議会で質問する限り、市政を変えることなど到底不可能ですし、心ある有権者は「議員が生業ということか」と呆れています。


私はコロナ禍までは毎月のように開いていた講演や議会報告会において、「皆様のご要望でも特定個別の事案については取り上げません、あくまで市政全体にかかわる事案のみ取り上げます」宣言してきましたが、この考えは今後も変わりません。

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