◆前提条件

議論や質問には、当然に前提となるシチュエーションがありますので、その前提が変われば主張や答えも変わるはずです。例えば食欲有りますかとの問いに、空腹時と満腹時では違う答えになりますよね。

コロナ第2波到来か、との議論を聞いていると、どうもこの前提条件が無視されているように思います。確かに感染者数は第1波を超える勢いですが、死者数は圧倒的に少ないままですから。

第1波即ち緊急事態宣言の時と現在ではPCR検査の受検条件が変わり検査数が圧倒的に増えていますから、感染者数を測る前提が違います。異なる検査条件での陽性者数だけを比べてもあまり意味があるとは言えないでしょう。

一方第1波と現在の死者数は、第1波時の方がPCR検査数が少ないので、コロナ死者が別の病気にカウントされる可能性は現在より第1波時の方があるはずなので、死者数は現在の方が確実に少ないのではないでしょうか。

同じ前提の数字を無視して、前提が異なる数字の比較で大騒ぎするのは馬鹿げたことだと思った次第。安心は禁物ですが、ただヒステリックに恐れるのではなく、事実を把握したうえで正しく恐れ、対処すべきです。

◆【閑話休題】進化に合ってない!

せっかくの4連休も毎日雨で、ちょいの間庭いじりしたら、無茶苦茶蚊に刺されました。いや痒いのなんの我が家の蚊さんは強烈でぼこぼこにされたカンジです。こんな時いつも思うのは何故蚊に刺されると痒いのかという生物進化への疑問です。

だって蜂などが刺すのは、身を守るためですよね、だから攻撃してくる相手に痛みを与えるわけで、さらに次に出会ったとき相手はコイツを攻撃すると痛い目にあうから止めとこうと抑止力となって身を守るわけです。

ところが蚊さんの場合、刺すのは攻撃ではなく自分のお食事なわけで、人サマから血をチューチュー吸った挙句、後に痒みを残すのは何とも恩知らずで可愛くないから、人は蚊に刺されると、ペシッとやるわけですが、じゃいったい何のために蚊さんは、痒くするのでしょうかね?

進化の過程で、より環境に順応し生存力を高めるならば、血を吸った相手に痒みを与えるのはマイナスで、蚊に刺されたらいい気持ちになるとか、少なくとも何も感じなければペシッとやられる危険性がなくなるわけで、絶対こっちのほうが蚊さんにとって良いはず。

なのに何の利益もないばかりかわざわざペシッとやられる身の危険を創っているわけですから、進化の論理に反して逆行です。

蚊さん、キミたち間違ってるよ、痒くするの止めたら、安心してお食事できるのになんで?

てなことを、毎度蚊に刺されるたびに思うのですが・・・

そう思いながら、刺され続ける私も進化ないか。

◆中国のしたたかさと日本の平和ボケ

主張の是非はともかく、日本がコロナ一色で右往左往しているドサクサにこういう動きを忘れないとはたいしたもの。アメリカさんの庇護頼りの日本に比べ、この国家意識は見習いたいものです。

なにしろ、コロナ禍は中国の方がはるかに深刻なはずなのに、このしたたかさには舌を巻きます。

というか日本が平和ボケというか内向き過ぎでは?

このところの政府のGo toキャンペーンのごたごたを見ていると、この国の危機管理が心配になってきます。

まあ、国会議員でもないので、心配するだけで何も出来ないのがもどかしいのですが・・・、

https://news.livedoor.com/article/detail/18599757/

◆重箱のど真ん中

 もうずいぶん前、3月頃に書いたと思うのですが、「圧倒的に多いインフルエンザの死者に騒がず、コロナばかり取り上げるのはおかしい」とか「所詮風邪の一種だ、恐るるに足りない」といった声がありますが、各国がコロナに躍起になっているのはウイルスの正体が不明で、ワクチンや特効薬がなく、感染拡大の予測がつきにくいからだ、と書きました。 これ今も同じ考えを私は持っています。

この記事にあるように仮に見方によってインフルエンザより危険度が低かったとしても、現時点で4.2パーセントの死ぬ確率で治療薬もないことが決定的な違いで問題だからです。 早期発見胃がんの5年死亡率(∴5年生存率95.9%)とほぼ同じです。

前提が違うので単純比較は意味ありませんが死ぬ確率の恐怖は同じなので、治療薬が無いのにこれを平気でいられる人は、よほど度胸があるのでしょうが、癌と違いコロナは他人にうつしますから、これを果たして度胸と言えるかどうか。

https://medley.life/news/5e390f2d6158e140a8122862/

◆公人が考えるべき危機管理

危機管理とは危機が発生した場合の影響を最小限にし、速やかに危機からの脱出・回復を図ることです。ですから市政を担う市長や議員等の公人の危機発生時における責務は、最低限その影響を見積もり・把握して、今後の悪影響を最小限にとどめ、受けた被害から回復する策を講じることです。

このことを理解できていれば平時の価値観や習慣に基づく思考や行動は愚の骨頂であることが分かるはずです。 このことについて少し長くなりますが、お話します。

私の専門は街づくりですが、常に街づくり関係のビッグプロジェクトに関っていたこともあって、特にここ10年は街づくり業務を遂行する上での危機管理がメインの仕事となっています。

危機管理とは前述の通り、大雑把に言えば、危機が発生した場合の影響を最小限にし、速やかに危機からの脱出・回復を図ることです。学術的には予防も含むので、予測対応が主のリスク管理との区別が分かり難くなりますが、先ずは発生した危機に対する対応が主たる内容でしょう。

街づくりのビッグプロジェクトにおける責任者としては、頻繁に発生する計画や設計をはじめとする業務遂行上のリスク管理や発生した危機に対しての迅速な対応が私の任務となっています。

危機管理(Crisis Management)が現に起きた危機への対応が主であるのに対し、リスク管理(risk management)はこれから起きるリスクへの対応になりますので、予想リスクの回避・削減・保有・移転などがその内容となります。

これは技術士の場合の言い方で、分野によっては表現が少し変わったり、項目が増えたりしますが、基本的なところは同じでリスク管理の基本中の基本の素養です。 このリスクの回避・削減・保有・移転については話し出すとキリが無くなるので、いづれ別の機会にお知らせしますが、聞けば目からウロコですので、よろしかったらネットで検索してみてください。

私は平成7~9年に某省を始めとする数々の防災業務計画や危機管理マニュアルを作成して以来、定期的にこうした業務に関わってきましたが、官民共に組織においてはこうした初歩の知識すらほとんど無いことが普通です。

これは非常に残念なことですが、おそらく平和憲法の下、長らく平和ボケしてきたこととあながち無関係ではないような気がします。とにかく官民に関わらず危機に対しての認識の甘さは絶望的です。

例えば、この6月議会での私の一般質問で、「緊急事態下で3密回避が叫ばれている中、全員協議会を何故招集したのか」を質問したところ、市長は「緊急事態宣言があり、議会と情報共有のため。」と回答。 さらに「緊急事態での3蜜となる会議招集は感染防止に反するが」と問うと、「考え方が違う、情報交換は顔を合わせて行うべきだ。」との答えが返ってきて絶句してしまいました。

恐らく市長自身は、大真面目に答えているのだと思いますが「顔を合わせて」と胸を張って言うところは、完全に平時の一般論ですから、今般のコロナ危機ではリスクアセスメントの概念すらないのでしょう。

つまり何が問題なのか把握できていないのです。 完全に平時の習慣や価値判断基準でものを考えています。そのせいか、常に行動が他の自治体のマネに終始し危機対応の原理原則には全く無頓着に見えます。

例えば、3月議会において全員協議会で執行部職員が各部のコロナ対策を説明する際いくらでもスペースがあるのに肩寄せあっていたことはその一例で、私が注意するまで、間隔を広げようともせず感染対策を論じていた様は笑えない冗談です。

今般のコロナ禍に関して、直接の感染対策の検討を素人があれこれ考えるのはお門違いですから、もっぱら市政関係者が考えるべきことは、コロナ禍が市民生活に与える影響を見積もり、その原因を把握して分かる範囲での対応策を考えることです。

先ず考えるべきは市民の生命の安全確保ですから、最低限度市議会の活動が感染源になってはならないことはいちいち議論することではないはずですが、これを言ったときある市議は、それでは感染したら罪だというのかと言うので、これまた絶句してしまいました。

どこまで行っても、根本となる「市民の生命の安全確保」の意識が無いからです。その意識があれば、議員はじめ市政関係者が感染回避できることをせずに(←ココ重要)感染してしまったら、即時隔離しない限り感染した瞬間から感染源となりウイルスを市中にまき散らし加害者となることくらい理解できるはずです。

件の市議には悪気はなく、一般論としての「感染者に罪は無い」を、一般市民に様々な自粛を要請している者としての特殊界に当てはめてしまっていることに気付いていません。つまり感染することがいけないのではなく、議会活動で感染することがいけない事なのです。

感染拡大という非常事態は、自然災害や戦争などの物的破壊といったこれまで想定してきた危機とは異なり、感染者が被害をもたらすという明らかな現実を、従来想定してきた物的被害をもたらす危機と混同しています。

ですから、「議員としてその使命を全うするために、危険を冒して」でも議会や会議には参加しなくてはならないと思っているようです。 この「危険を冒して」の考えは間違っていませんが、あくまでそれは、その危険が自分だけにとどまる場合の話です。

弾幕を潜り抜け敵陣に突撃して負傷しても負傷は自分だけですから英雄となりますが、ウイルスが蔓延する所に突撃しても、感染を広げ、味方【=市民】を危険に晒します。

どうも、この区別ができてなくて、「危険」を冒すことが良いことと勘違いしているようなのです。危険を冒して英雄になるのは上記のように危険を冒したことが人々に安全をもたらす場合であって、危険を冒すことで人々を危険に晒してしまうのは身勝手というものです。

かような考え方で果たして市民の生命を守ることができるのでしょうか。平時の考えで「危険」を冒してまで責任を果たすのだというのは、狭い視野で自分の事しか考えていないヒロイズムでしかありません。

以上

念のため補足:私は本文中にも明確に書きましたが、市長や市議と言った市政関係の公人が感染してしまう事は批判していません。議会活動例えば様々な会議体に参加することでクラスターとなることは絶対に避けなければならないと言っています。くれぐれも「感染すること」と「議会活動で感染すること」を区別されますよう。