◆コロナ騒動に見る国家の統治と地方自治~その2

私は表題のタイムライン記事を3/1にアップしました。その中で、日本国の統治機構の中の地方政府の一員たる議員としては、よほどの確証が無い限り国家的緊急事態においては中央政府からの学校閉鎖等の要請には従うべきとの考えを記述しました。

この考えは今も今後も変わりありません。 このことを英国艦隊の見敵必戦を例に挙げ、行動の基本原則としてお示しましたが、自分の行動原則の大要を再整理すれば以下の通りです。

【公人として】

①中央政府→地方政府>議員とのガバナンスは守る。 ②上記は無定見に付和雷同するものではないが、異論を唱える場合は原則方針決定まで、方針決定後の異論主張は、客観的根拠と整理された論理を示して国民国家に損害があると主張できる場合に限る。

【私人として】

あくまで私人としての見解であることを前提にしたうえで、私人として普通に得られる情報を元に見解を述べる。

以上が結論、時間のある方は以下もどうぞ。

今日は、以上を念頭に学校閉鎖や各組織における会議集会中止について、3/1と同じ事を再び書きます。

1.公人と私人

先ず、論を進める上での前提を明らかにしておきます。私の見解は福田聖次個人の感じるところによる私人としてのそれと、地方議員である公人としての見解の2つがあります。

私人としては、今般のコロナ騒動における政府の行動、特に初動体制は、話しにならないほどお粗末だと思っています。

その理由は報道から得た情報で考える限り、武漢からの観光客を受け入れたり、その後の客船騒動に見る後手後手の対応から、誰しも思うであろうこと故です。

ですが、こうした思いはTV等の報道からの印象であって、報道は各社まちまちで、情報が限られた上に、責任の所在がハッキリしない主観的な意見が混在しています。

つまり3/1のタイムラインでも書きましたが、得られる情報自体の精度が不明な上、それを受け取る側が素人なので所詮クマ公ハチ公の与太話の域を出ていません。

このことは恐らく、私を含め市民の皆さんは勿論、各自治体の首長や幹部職員とて同じでしょう。とはいえ恐らく夫々の立場・地位によっては得る情報の精度にはかなりの違いがあり、恐らくTVのコメンテーター達も中央政府の関係者ほどの情報を持ち合わせていないのではないでしょうか。

それ故、私人としては政府の後手後手の対応には呆れてものも言えないという気がしますが、中央政府から地方政府に至る統治機構の一員として組み込まれた公人たる地方議員としては、物申すだけの正確な情報も知識も無い以上は、国家的危機に対する中央政府からの要請が出た以上はそれにしたがって行動することが第一と考える次第です。

勿論このことは、中央政府に対して無定見に付和雷同するということでは有りません。自分にそれなりの情報と見識があれば、当然に物申すべきと考えます。

2.地方自治体として対応すべきこと

以上の前提で、地方政府の一員即ち地方自治体の一員として今般のコロナ騒動に対する自治体の取るべき行動について考えてみましょう。この場合考えるべき視点は2つあると思います。

一つは、何をさておいても市民の安全確保の視点。二つ目は自治体としての組織防衛即ち批判に対するリスク管理による市民からの自治体に対する信頼性確保の視点です。

2-1. 市民の安全確保の視点

先ず市民の安全確保という視点で我が街蓮田市のとるべき行動について考えてみましょう。結論を言えば、私の知る限りの情報や知識では、自信を持って何を優先して行動すべきかは断定できません。

恐らく市長はじめ執行部各位は一議員即ち市民に過ぎない私よりは詳細な情報を持っているでしょう、ですがそれを判断できる知識があるとも思えません。

ゆえに私の判断とは50歩100歩ではないでしょうか。 となれば、市民の安全確保を第一に考えるならば、素人判断を避け専門家あるいはより責任を持った組織の考えに従うべきでしょう。

分かりもしないのに我が市は学校閉鎖をしないなどといった判断をもし下すならば無責任極まりないでしょう。 勿論、国の判断を上回る独自の情報や見識があれば、逆に違う対応を行って全国民と中央政府に範を示すことは、付和雷同するよりはるかに必要且つ重要なことですが、果たしてそんな判断を下せるような情報と見識を持った自治体があるのでしょうか。

2-2.組織防衛

組織防衛と言うと、なにやら保身に聞こえてしまいますが、納税者が直接関わる地方自治体への信頼性確保のことで、納税者が直接税を払う自分の自治体の施策が信頼できるか否かは、とても大事なことです。

いい加減な公共政策を実施し、市民生活に悪影響を与えるような自治体には、誰しも税を納めたくはないでしょう。 そこで、このコロナ騒動における学校閉鎖の是非について考えて見ましょう。

実際の感染の因果関係のことではありません、ここでの論点は自治体の施策に対する市民の評価や信頼性確保のことです。

3/1にも書きましたが、中央政府が学校閉鎖を要請しているのにそれに応じなかった場合何が起きるかです。

もし学校閉鎖で感染拡大に歯止めが掛かって収束に向かった場合、学校閉鎖は批判されるでしょうか、学校閉鎖の効果があったとなり学校閉鎖措置が批判されることは無いはずです。同じく結果オーライで学校閉鎖しなかった自治体も特段に批判もされないでしょう。これは感染拡大に歯止めが掛からなかった場合でも同じでしょう。

しかし、もし学校閉鎖しなかった自治体に感染者が出てきたならばどうなるでしょうか。これといった感染拡大防止に対する独自のメソッドに対する公に認知された評価が無いのですから、自治体の根拠無き勝手な判断として、これに対する批判は免れないはずです。

勿論、学校閉鎖実施の有無とその地域への感染者出現の因果関係が明らかにされない限り、学校閉鎖しないことが感染者出現の原因とはいえませんが、果たして世間はそんな論理的思考をするでしょうか(絶対に原因ではないことも証明困難でしょうし)。

ところで、発生が見込まれるリスクに対するリスクへの対応方針(=リスク評価)には、①リスク保有、②リスク低減、③リスク回避、④リスク移転があります。このうちリスク回避とは保険を掛けたりして、リスクを自分の所から他に移転してしまうことです。

今般の学校閉鎖は中央政府からの要請なので、当然に学校閉鎖によって起こりうるリスクは要請した中央政府にあり、いわば自治体から見れば責任を問われるリスクが中央政府にあるわけで、これを拒否するならばその結果起こりうるリスクをわざわざ自分の側に移転することになるので、これは地方政府のリスク管理としては愚策といえましょう。

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