■よくよく考えたら・・・

物事思考するとき、前提条件の認識や焦点をどこに当てるかで論点に対する対応や結論が変わってきます。昨日書いたように我が街蓮田市議会の中野政廣議長と議運の齋藤昌司委員長の発言を役職名だけにするのはやはり変ですので、9/19の記事から一旦は個人名を削除しましたが復活させました。理由は以下の通り。

●公務中の発言に公私の別は無い

齋藤昌司議員からは、私の議会での発言への訂正を求めたのは、議運委員長としてであるから個人名を書くなと要求されましたが、プライベートな会話ならいざ知らず、議会公務での発言に公私の別があるあるはずが有りませんね。

また名前を消せといったことも、そもそもは齋藤昌司議運委員長から受けた私の議場発言への訂正要求の顛末を書いたことに対し、議長室に私を呼び出し中野政廣議長とともに記事からの名前の削除を要求したのですからこの点でも個人的であるはずが有りません。

●何が変か

権威とか規則を盾にした要求は一見そうかなと思わせ勝ちですが、本質的におかしな要求の場合は、どこかモヤモヤした感が付きまとい、そのモヤモヤが何か分かると一瞬で何がおかしいのか氷解し本質が明らかになります。

本件のモヤモヤは私の発言に対する要求が本質的に不当であることを要求した側が感じていたということでは無いでしょうか。ま、名前を書くなと言う時点で誰しも気がつくはずですが、規則とか決め事とかを持ち出されるとそうした当たり前の事から目が逸れてしまいがちですね。

例えば、議長や委員長が、何かの表彰を受けたとか、あるいは言動がマスコミで賞賛されたとしたらどうでしょうか、議長・委員長の肩書きとともに氏名を公表されて文句が出るはず有りませんね。

氏名を公表されて困るということは、自分の言動がオカシイと自分で分かっているから人に知られたく無いということでしょう。あれこれ法律だ規則だと議論する前にこのことが全てを語っていると思った次第。

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