○福田聖次が語る蓮田の未来

□日時:11月17日(日)13時~
□場所:中央図書館視聴覚室

 

◆ロボットと経済

貨幣理論を勉強し出したのは20年位前だったでしょうか、まったくの素人ゆえお金は政府が印刷するものだと思っていたので、信用創造を知った時はへーっと驚きました。と同時に経済活動による付加価値創造と貨幣の関係がよく分らず今日まで来ました。

 

ハッキリ記憶有りませんが、10年前くらいからMMT理論のはしりみたいなことをよく聞くようになり、昨年あたりから急にMMTが取りざたされて、普通に会話に出てくるようになったように思います。

 

何故貨幣理論を勉強し出したかと言えば、火事でお金を燃やしちゃったらその価値はどこへ行ってしまうのだろうかとの疑問からでした。信用創造の仕組みを知った時この疑問が解決したかと言えば解決しませんでした。

 

以来、今も疑問に思うのは、もしもロボットがどんどん高性能になって、ロボット自身がロボットを設計し人間以上に生産性の高いロボットを生産できるようになった時、貨幣の価値はどうなるのだろうかとの疑問です。これは全く荒唐無稽の話ではなく、近い将来現実になるのではないかと思っています。

 

今は、人間自体が機械以上の生産能力を有しているので、富によって人間の差別化が図られていますが、機械即ちロボットが人間以上の生産能力を有するようになれば人が人を雇用する必要は無くなるので、人を差別化する富の概念は無くなるのではないでしょうか。

 

たとえて言うならば、人は神のごとき存在となり神同士の貧富の差は無くなると言うものです。

 

社会保障システムがセーフティーネットとしての機能を十分に果たせなければ、過渡的には、生産性の低い人々はのたれ死にして淘汰され、生き残った人々は人間以上の生産能力を有したロボットを皆有し、いわば貴族のようなあるいは神のような何不自由無い生活が出来る事でしょう。

 

もしも現在のように生産能力の差で人の差別化が図られるとしても、それぞれの人々が望むだけのロボットを有し望むだけの生産をして、望むだけの生産品に囲まれたリッチな生活が出来るのですから、それでも人々の間に貧富の差があるとすれば、所有するロボット自体がリサイクルや素材も発達させ望むだけロボットを製造するので生産手段ではなくエネルギー所有量の差となるでしょう。

 

ですが、そうしたことによる貧富の差も、もしエネルギーも誰もが無限に手に入るようになれば、単にある尺度で人に勝ちたいだけの思い込みでしかないでしょう。

 

10年ほど前にそう思い至り、自分の専門である街づくりの分野で、恒久的エネルギーによる完全にインフラとエネルギー供給が自立した都市が出来ないものかと考え、ちょっと大げさですが石油を巡っての戦争を不要にする1000年持続可能な都市の実現のための研究をしようと東大大学院に入学しました。

 

研究のアウトラインは、すぐに出来上がり後は実証実験をするのみとなり、実証実験をしてくれる鉄道会社の協力も得、さあ開始と言うところで東日本大震災が起き説明困難な事情から計画が頓挫。この状態から早8年が過ぎましたが、この間復興事業に関わってしまったことから多忙を極め、研究結果を論文にまとめる事がこれまた頓挫してしまいました。

 

ならば、他を頼るより自分のスキルを活かし実現したほうが早かろうと思い至りました。という訳で私は、現在自分が住んでいる蓮田市の次期市長を目指していますが、その目的の一つは、自然エネルギーによる完全自立都市のモデルを実現し、世界にエネルギーを巡っての戦争の無意味さを実証することにあります。

 

冒頭述べたように、そう遠くない将来貨幣所有による貧富の差は意味をなさなくなりそのきっかけは、ロボットの高性能化と私が夢に描く外部からのエネルギー供給不要な自立都市であると、構想を夢見ている次第。

 

昨今の批判文化に席巻されたこの国においては、令和のドン・キホーテと揶揄されそうですが、この構想にはトレードオフの要素がないのでダメ元なうえ、批判をことごとく論破する自信があります。令和のドン・キホーテにご期待ください、なにしろ何かを犠牲にする訳ではないのでダメで元々ですから。

 

街論私が市長を目指すのは、これだけが目的ではありません。我が街を住みよい街、住んで自慢できる街にすることです。蓮田を世界一と自慢できる街にする方策が今述べたことです。では住みよい街にするには?こうしたビジョンを下記日程で語りますので、皆様是非ご参加ください。

 

○福田聖次が語る蓮田の未来

□日時:11月17日(日)13時~

□場所:中央図書館視聴覚室

■よくよく考えたら・・・

物事思考するとき、前提条件の認識や焦点をどこに当てるかで論点に対する対応や結論が変わってきます。昨日書いたように我が街蓮田市議会の中野政廣議長と議運の齋藤昌司委員長の発言を役職名だけにするのはやはり変ですので、9/19の記事から一旦は個人名を削除しましたが復活させました。理由は以下の通り。

●公務中の発言に公私の別は無い

齋藤昌司議員からは、私の議会での発言への訂正を求めたのは、議運委員長としてであるから個人名を書くなと要求されましたが、プライベートな会話ならいざ知らず、議会公務での発言に公私の別があるあるはずが有りませんね。

また名前を消せといったことも、そもそもは齋藤昌司議運委員長から受けた私の議場発言への訂正要求の顛末を書いたことに対し、議長室に私を呼び出し中野政廣議長とともに記事からの名前の削除を要求したのですからこの点でも個人的であるはずが有りません。

●何が変か

権威とか規則を盾にした要求は一見そうかなと思わせ勝ちですが、本質的におかしな要求の場合は、どこかモヤモヤした感が付きまとい、そのモヤモヤが何か分かると一瞬で何がおかしいのか氷解し本質が明らかになります。

本件のモヤモヤは私の発言に対する要求が本質的に不当であることを要求した側が感じていたということでは無いでしょうか。ま、名前を書くなと言う時点で誰しも気がつくはずですが、規則とか決め事とかを持ち出されるとそうした当たり前の事から目が逸れてしまいがちですね。

例えば、議長や委員長が、何かの表彰を受けたとか、あるいは言動がマスコミで賞賛されたとしたらどうでしょうか、議長・委員長の肩書きとともに氏名を公表されて文句が出るはず有りませんね。

氏名を公表されて困るということは、自分の言動がオカシイと自分で分かっているから人に知られたく無いということでしょう。あれこれ法律だ規則だと議論する前にこのことが全てを語っていると思った次第。

■名前を出されては困る?

先週末の9月議会閉会に続いて行われた行政視察も昨日終わり、一段落したので久々の投稿です。

●タイムラインから名前を消せ→拒否→懲罰だ
さて、その議会閉会後、議長と議会運営委員会(以下議運)委員長から呼び出され、9/19の私のフェイスブックから、議運委員長の個人名を削除しろと言われましたが、私は事実に反すると思いソッコウで拒否したところ懲罰にかけるとの事。以下そのやりとりです。

●議会申し合わせ事項
議運委員長が言うには、個人の発言ではなく議運委員長の発言だから、個人名を消し議運委員長だけにすべきと言うものでしたが、私は事実に反しているならともかく、実際の議運委員長の発言なので、事実をそのまま書くと答えたところ、議会申しあわせ事項に情報発信の際議員氏名を掲載する場合は事前に本人の了解を得ることとなっている、とのこと。

●憲法違反
これは明らかに憲法違反です。
【憲法第二十一条】集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

●議会で懲罰にかける?
私が憲法違反を主張すると議長は、申し合わせ事項は憲法から流れてきているので憲法違反など無い、懲罰に発展するがそれでよいか、とのこと。ハイどうぞと言うと、分かった議会にかけるとのこと。

●私の見解と今後の対応
①とりあえず記事は訂正
議運委員長が嫌がることをするのが目的ではなく真実を伝えることが目的なので、議運委員長の個人の発言ではないとの主張にも一理あるなあと思ったので、本人の希望通り記事からは個人名を削除し議運委員長に代えておきました。
②憲法違反
それはさておき、この申し合わせ事項が憲法違反であるとの考えは変わりませんので従う気は無く、議会での私への懲罰動議は受けて立つつもりなので沙汰を待っているところです。もし不当な処分が私に課されたならば、全てを公開しあらゆる法的検討を考えています。
③情報開示
自分が正しいと信じているならば、その行為は公開されてなんら問題ないばかりか広く知らしめたいはずですから、私を懲罰にかけるということが正しいと言うのなら全てを公開してなんら問題ないはず、よって本件に関して全てを情報開示しますので、蓮田市民に限らず皆様楽しみに待っていてください。
④部分社会の法理
部分社会(=この場合議会)の内部規律は司法審査の対象外との考えがあり(昭和35年10/15最高裁大法定判決)、本件は法理論的には部分社会の法理に属すると考える方がいるかもしれませんが、それは単に司法が内部規律に介入しないと言うだけのことです。

しかも、本件の場合議会運営を何ら妨げたものではなく、二元代表制における議員活動の一環として市民に議会で行われている事実を知らしめただけのことを罰するというものです。

よってこの処分が部分社会の内部規律の範囲にとどまるとは思えませんし、何より一般常識で考えて通用するはずが無く、全てを白日の下に晒し市民の皆様の判断に委ねたいと思っています。もって地方議会の閉鎖性への問題提起になれば良いなあと願う次第。

■福田への懲罰?

本日私の一般質問が終わりましたが、呆れたことに市長は私の質問に対し答えをはぐらかすばかりで答えませんでした。

市長サイドが忘れているのは、私の一般質問の時、傍聴席を満杯にした市民の目と耳です(ちなみに先輩議員の話しでは今までは傍聴人はいてもまばらにいる程度だった、こんなことは今まで無かったとのこと)。こうした市民の前で演じたはぐらかしは、市民の怒りを呼び起こし、会議後「なんだ、あの市長の答弁は、全然福田さんの質問に答えてないじゃないか」と口々に怒りを露にしていました。

何とかしのいだつもりでしょうが、その場しのぎで私の追及を逃れても議会は12月・3月・・・と永遠に続き、キチンと答えるまで私がスッポンのごとく食いつき追求することを忘れているのではないでしょうか。

ところで、私はこの日のトップバッターで朝9時からの質問開始でしたが、私の質問後突然休会になり、そのうち議会運営委員会(以下議運)に呼び出され齋藤昌司議運委員長が、下記の私の発言が問題なので謝罪して撤回しろと言うのです

①「詐欺と言う発言」
(この前段の論点=再開発事業で当初の権利者には土地を個人所有できずビルに入居しなければならないと説明して91人中89人が地区外に転出し、権利者が2人になったら土地を分配し個人所有を認めたことに対し、説明責任を求めたら市長は一切その気はないと拒否したので、再度説明すべきと質問したところ、部長からの論理的に説明が難しいとの答弁があったことに対し)
・・・論理的に難しいと言うことでした。そりゃそうでしょう。論理的には難しいですよ。説明なんか出来っこありません、そんな理屈は。論理的に説明できないからご理解くださいと言われましても私は理解できません。大半の契約後に、残った人に違う契約内容の条件でやっているわけですから。

これ、普通に普通にですよ、民間のもし、普通の業者さんがこういうことをやっていたらどういう風に言われるか恐らくこれは詐欺じゃないかと言われると思うんです。最初に言っている条件と後の方で人によって違う条件で契約を進めているわけですから、法的に問題ないかもしれませんけれど、感覚的にこれは詐欺に近いという印象を受けてしまうのが普通じゃないかと思います。

②「人もリース発言」
(普通は個々の入札で調達する校舎建設や照明装置工事などで、起債よりもリースが効果的であるとした根拠への質問に客観的根拠の説明がなかったので)本当にこのリースが効果的であるならば、全てをリースでやればいい、そして職員の皆様方、ちょっと言葉が悪いかもしれません、気に障ったら謝りますが、職員もあるいは市長さんも全部リースでいいんじゃないですか。これは悪い冗談かもしれません。ま、しかし論理的にはそうなりますよ。

これらの私の発言は、論理的に問題ないと思っているので、議会自らの言論封殺には応じるわけにはいきません。①の発言については、謝罪を強制されたら最高裁まで争う覚悟で、即時に謝罪も削除も拒否しました。

②の発言も、論理的にはなんら問題ないと思っていますので、何が問題なのかを問うと、齋藤昌司議運委員長から、人をリースすると言う発言は人を物扱いしているから撤回すべきだとの事、発言内容を文脈で理解していればこういう発想にはるはずがなく、正に単語に反応しているわけなので、齋藤昌司議運委員長の主張は受け入れるわけには行きませんが、私は「私は気に障ったら謝りますが、と言っているので、気に障ったというのであれば謝って撤回します」と申しいれたところで退席を命じられました。

程なくして、議会を再開するからその際、謝罪せよとのこと、周りの人からは余計なことは言わずに只謝れと言われましたが、それでは圧力に屈したことになり真意が伝わらないので、再開後の議場において次のように発言しました。

「私のリースに関する発言において謝罪要求がありました、発言の際私は気に障ったら謝りますと申し上げており、気に障ったとのご指摘を受けましたので謝罪します、そして当該部分を議事録から削除していただくようお願い申し上げます」

さて、これでようやく議会が再開されることになりましたが、これだけで午前中の会議が全て停止し、2番手の一般質問は午後からとなってしまい、結局議会が終了したのは20時頃でした。

これ、何時間も議会をストップさせるような事案ですかねえ、私は自ら、「気に障ったら謝ります」と言っており、気に障ったと言われたので謝ったのですが、議会で見解の相違があるからと答弁を拒否した市長の発言は問題視しない議会っていったい何なんだろうと思った次第。

PS:本記事は9/19私の一般質疑当日に書いたものです。

◆9月議会

議員になって2回目の議会となる9月議会が始まり、昨日は議案質疑がありました。

私は(議案第52号蓮田市立学童保育所設置条例の一部を改正する条例)に対して疑問があったので以下の点を質疑しました。

 

◆私が質疑で狙うのは

質疑とは市長が出す議案に対し質問のみをするもので討論はできません。なので質問するだけでは市長派が過半数を占める議会ではただの自己顕示かマスターベーションにしかなりません。そこで私はどうせこの条例改正案が可決されるのなら、せめておかしな方向に行かないよう、市政における立法府たる議会においてきっちりと議事録に残しこの条例運用の言質をとることを狙って質疑しました。

ただ、こうした私の狙いはどれだけの人々に理解されたかはわかりません、単なる質問としか理解できないかもしれませんし、何より答弁者は質問の意図を理解し答えてもらわなければなりませんので、質問の冒頭に「市の立法府たる議会の見解をハッキリ議事録に残すため」と前置きして質疑に入りました。

結果は、学童保育所に入所制限を設ける事に対し、その運用は学校教育法に基づくことを確認できたので、発達障害などの管理しにくい子供を排除することを防止する言質が取れました。

これならば、多数派に押し切られて条例が成立しても暴走が食い止められるので結果OKです。

但し、下記の通り明らかに条文表記のミスと思われる文言の間違いは押し切られてしまいました。ですがこれも上記のとおり条例適用の暴走を抑えられるので実害は有りません。

  • 上位法体系

先ず上位法体系を質問したところ憲法25条(=健康で文化的・・・)・教育基本法とのこと。予想通りの回答です。

  • 入所制限の基準について

上位法体系を前提で本条例に追加された入所制限の基準では「児童が疾病その他の事由により集団生活に適さないと認められる」場合、入所を制限することとされているので、感覚的に集団生活に適さないと判断され入所を断られてしまうと憲法に保障されている健康で文化的な生活を営む権利が侵されます。

そこで、その他の事由により集団生活に適さないと認められる場合の判断基準を質問したところ、学校教育法に基づくとの言質を取ることが出来ましたので、様々な差別や好き嫌いによる入所制限を防止することができました。

  • 指定管理者選定基準における「効率的」と「効果的」の勘違い

この改正条例に新たに指定管理者への業務委託が盛り込まれました。そのこと自体は問題ありませんが、その選定基準に「学童保育所の効用を最大限に発揮させることができるとともに、効率的な運営を行うことができること」とあり、前段の「最大限に発揮させる」は当然なるも、後段の「効率的な運営」は効率的な運営のために指定管理者制度を導入するのなら意味が通じますが、指定管理者の選定基準にこれがあるのはおかしな話です。

指定管理者が「効率的な運営」をしようとしまいと求める効果を発揮すれば良いことですから、重要な事は「効果的な運営」のはずです。

そこで、この条文を加える根拠法は何かを質問すると、地方自治法第244条の2第4項とのこと。

その内容は、「4 前項の条例には、指定管理者の指定の手続、指定管理者が行う管理の基準及び業務の範囲その他必要な事項を定めるものとする。」とあり、では前項はというと、

「3 普通地方公共団体は、公の施設の設置の目的を効果的(←ここに注目)に達成するため必要があると認めるときは、条例の定めるところにより、指定管理者に、当該公の施設の管理を行わせることができる。」と書かれています。

つまり指定管理者には、「公の施設の設置の目的を【効果的】に達成するため」管理を行わせると明記されており【効率的】とは書かれていません。

ですから指定管理者の指定基準に「効率的な運営がされること」があっても構いませんが、それを書くなら先ず「効果的な運営がされること」の方が重要なはずです。

今の改正案のままに拘るならば、指定管理者導入の目的である施設の目的を効果的に達成することよりも、効率的に達成することを優先すると言う事になります。先の排除を匂わせる「入所制限」の条文と言い、運営の効率化ばかりで公共の福祉の観点が希薄な印象を持ってしまいます。

そこで私は最後に、根拠法にも「効率的」ではなく「効果的」と書いてあるし、「効果的」が指定管理者の選定基準ならば府におちるので、これは「効果的」と「効率的」を勘違いしたのではないか、であれば過ちを改めるに遅すぎることは無いので訂正してはどうかと質問し、蛇足ながら間違いは誰にもあるので間違った担当者を叱責しないようお願いし、2回目の再質問を終えました。

議会のルールで再質問は2回までとなっており、ここで自動的に私の質問は終わりとなりますが、この間担当部長は、うんうんとうなずいていたので、同意したものと思って気が緩んでしまいましたが甘かった。

担当部長は「効率的」で良いと考えており変えないと宣言したのです。ですがこれは考えてみれば一職員である担当部長としてはたとえ本人がいくら同意したところで上程した議案を変えますとは言えるはずも無く、これは市長に答弁を求めるべきで、この気の緩みは迂闊でした。

理屈合戦は得意な方ですが、こうした点はまだまだ不慣れで反省すべき点が多々あるなあと思った次第。

とはいえ既に重要な事は言質を取っており、効率的か効果的かは、実質的には大した問題ではありません。ただ条文としての見栄えの問題ですが、まあ反省点を確認できたので良しとしておきます。

◆カジノ反対と言うけれど・・・

その理由は、ギャンブル依存症になるとか、治安が悪くなるとか。でもそれって変です、日本中に競輪・競馬・競艇場とその場外売り場があって、パチンコ屋に至っては無い市町村が無いくらいに行き渡っているのに何をトンチンカンなこと言ってるのだろうかと思います。

 

以前こうした指摘をしたら、それはギャンブルではない公営競技だ、パチンコは換金できないと言う人がいたのは噴飯ものでした。

 

本当に、カジノに賛成反対と言う前に、何故これらギャンブル商売に対して何も言わないのかが不思議でなりません。

 

公営競技に関しては法により公的団体に限定されていますが、パチンコは民間でしかもその換金システムが何故野放しになっているのか不可解極まりないのに誰も文句言わず、法によってガチガチに管理されようと言うカジノにはやたら目くじら立てるとはイヤハヤ。

 

私には、単語に反応し、重箱のど真ん中は決して見ようとはせず隅しか見てないように思えます。

 

議論するならば、公平公正な運用と国益についてではないでしょうか。IRに外国資本の参入云々が論点になっていること自体どうかしていると言わざるを得ません。

◆れいわ新選組の政策

れいわ新選組の政策の掲げる政策を見ると、これまでの政党が掲げる耳触りの良いだけのそれと異なり、それなりの根拠があって一線を画しているように思います。

 

■真の独立国家を目指します■

中でも私が一番感動し、支持したい政策は、「真の独立国家を目指します」の一文です。いままでこんなことを正面切って言う政治家は一人もいなかったように思います。やっと真面目に国家の根本を考える政治家が現れたかと思いました。

 

私には物心ついたころから果たして日本は真の独立国家なのか、ていのいいアメリカの属国ではないのかとの疑問があります。制度的には一応独立国家なので、こうした疑念は都市伝説の類と思われる方が多いかもしれませんが、日米地位協定始め駐留米軍の旁若無人な振る舞いや諸々の対米外交の弱腰は、明らかに日本がアメリカの属国であること示しています。

 

れいわの政策で少し物足りないなと思うのは、日米地位協定の見直し等日米同盟の改善しか言っていない点ですが、明確に日本がアメリカの属国であることを示す客観的な公文書がないので公にこれ以上の言及は、まあ無理と言うものでしょう。アメリカの属国だと言うなら独立戦争でもするのか、いったい何処の国と戦うのか?と言われるでしょう。

 

公の制度では独立国であっても、実態がそうなっていない。これ程高度な支配技術はなく、さすがソフト大国アメリカと悔しいけれど認めざるを得ません。

 

日本が独立していないと言うと、その単語に反応し、いったいどこがアメリカに支配されているのかと反論されるでしょうが、言葉のあやとりをして議論の勝敗に拘っても日本国の国益には何のプラスにはならないので、属国が不適切なら別にどんな表現でも構いませんが、重要なことはアメリカと対等になるべきということです。

 

ところで今、日韓関係は最悪になっていてお互い一歩も引かない状況です。山本代表は、韓国を敵視する感情論ではなく、韓国への輸出総額約6兆円を国益として維持していくべきだと主張していますが、本件に関しては私は、安倍内閣の対応でも山本代表の対応でもどちらでも良いように思います。

 

そんなことより絶対に避けなければならないのは、アメリカが仲裁に入り日本が妥協してしまうことです。今のところアメリカは二国間で話し合えと介入しないようですが、もしこの後介入し、日本が譲歩する事態になればまたぞろアメリカの属国を証明することになるからです。

 

恐らく大多数の日本人は、アメリカの言うことに日本は逆らえないと思っているのではないでしょうか。そして保守的な人々はアメリカに逆らえない現実を受け入れアメリカ様に逆らう奴は非国民だ!サヨクだ!として強いアメリカ様には忠誠を示すことを正当化しているように思えます。

 

でもそれでは保守とは到底言えるものではなく、強いものになびく単なる日和見主義に過ぎません。真の保守ならば日本国の独立を求めるはずで、むしろそういう意味では、山本太郎代表の方がよほど保守派でしょう。

 

彼をサヨクポピュリズムと評する向きがあるようですが、独立国家を標榜しながらアメリカ様に尻尾を振っていてよく言えるものだと思います。

 

といったようなことを諸々考えると、山本太郎、「真の独立国家を目指す」とは良くぞ言ったと感動してしまうのです。

 

その一方では、ココまで上手く日本国を手なずけたソフト大国のアメリカが、手をこまねいているとは思えず、小沢一郎氏が失脚したように人々のやっかみ心を刺激する山本代表のスキャンダルがまことしやかに喧伝され始めるのではと危惧します。

 

もしそうなった場合、それに国民が乗せられるか冷静に判断できるのかが、この国の運命の分かれ道でしょう。本当に許しがたいスキャンダルならば仕方有りませんが、もし国民が乗せられてしまうならば、もう後が続かないし、仮に再び真の国士が現れても何度でも同じ手口でつぶされてしまうからです。

https://v.reiwa-shinsengumi.com/policy/

◆メシア待望論の先

選挙前はマスメディアが全く無視だった「れいわ新撰組(山本太郎)」が今やメシア待望論のごとくもてはやされています。私もそうですが、やっと人々が待ち望んでいた政治家が現れたなという印象です。

ですが、こうした期待、今までも何度もあり、こうした党に人々の期待が高まり人気を博すと、有象無象の政治家や候補者、支援者が押し寄せ、何かの失政や失言で一気に人気が凋落、と言うパターンだったかと思います。

今私は、「れいわ新撰組(山本太郎)」が同じ轍を踏まないかと危惧します。これまでの政界に吹いた「風」のパターンと違い、「れいわ新撰組(山本太郎)」には単なるブームではない本物の可能性を感じさせるから、同じ轍は踏んで欲しくないと願う故です。

「れいわ新撰組(山本太郎)」は次期国政選挙で100人を擁立するとのこと、今のブームが続けば十分可能だと思いますが、問題はこの候補者選びです。有象無象の売り込みが殺到し玉石混交となっては、いかに山本太郎が優秀であっても、玉と石の区別を短時日でするのは不可能でしょう。

よほど人選のメソッドを研究し確立しておかなければ、仮に次期選挙で大躍進しても、やがては玉に混じって当選した石ころが暴走し、その次の選挙で凋落してしまうでしょう、そうなったら期待が大きい分失望も大きく民主党の二の舞とならないことを祈るばかりです。

 

※ちなみにメシアとは、「(油 を)塗られた者」の意味が語源だそうです。

◆都市経営センスに疑問

今年も蓮田ひまわり畑イベントが昨日から開催されました。これは4・5年前から市民ボランティアが遊休農地の活用を模索して始めたもので、一切の入場料も駐車料も取らず入場時間の制限も有りません。

信じがたいほどに人の善意が前提の行動原理です。ところが市の対応は善意を全く理解しないで悪意が前提かのように規則ばかりを厳格に適用し、何も支援をしていないようです。

 

にも関わらず、年々口コミで評判が広がり、市外は勿論県外からも多くの人が訪れ、年々出店やコンサートも増え会場も拡大してきています。正に継続は力なりを実感します

蓮田のイベントでこれは非常に珍しいことです。外貨(=地域外からの通貨流入の意)が獲得できることは都市経営のイロハですから、これを市長が全く無視するということはいかなる理由があろうとも全くもって情けないことですし、ではいったい何故無視するのかとなると、やはり謎です。

 

実は、本日この蓮田ひまわり畑イベントを見に行く前に、「あの日のオルガン」という映画を見てきたので尚更でした。

 

というのも、この映画は戦争中の蓮田市の旧平野村を舞台にした幼児疎開の映画で、蓮田市は映画製作に200万円の寄付をし、議員達に鑑賞券の販売を委託するなどの応援をしているのですが、実際鑑賞してみると何処にも蓮田のハの字も無く平野村というだけで、京都がロケ現場の山間の風景で劇中に夜空を赤々焦がす場面が熊谷空襲とあっては熊谷市の郊外が舞台と思うことはあっても、平野村が現在の蓮田市とは誰も思わないでしょう。

 

市民ボランティアが遠く他県の人を呼び寄せるイベントを定着させていることを無視するばかりか農政の規則を厳格に適用する一方で、蓮田のハの字も出ない映画を応援する現蓮田市政のメンタリティ・都市経営のセンスにはホント首を傾げるばかりか疑問を感じざるを得ません。

 

尚、念のため注記しておきますが、私は「あの日のオルガン」映画の応援を非難してはいません、これはこれで聖地巡礼に結び付けられれば良いと考えています。

 

但し、当初映画製作会社から蓮田市内ロケの申し入れがあったとき、現市長は断ったのでロケ地が京都になったとのこと。

 

その後このことを聞きつけた市民団体の要望等が有り、後から蓮田市は映画支援を決めたそうな。

 

なのでロケ地が京都では、果たして今はやりの聖地巡礼の対象に蓮田がなるかは、まあ難しく、応援するのかしないのかこの中途半端さも大いなる疑問です。