■我が街の街興し

蓮田市では、蓮田SA活用事業として市内の農商工事業者が連携し、 新たな商品やサービスの開発が進められています(ということを知りました)。

たまたま、地域興しのアンテナを張っていたら、「(蓮田市の)農商工事業者を中心に本構想の説明とキックオフ セミナー、収穫鍋体験、地域農家見学会の参加募集」にヒットし、参加してきました。

前々から、新サービスエリアのポテンシャルを地域振興の起爆剤にすべきと考え、何もしてこない現状に歯がゆい思いを抱いていましたが、さすがにそこは商工会はじめ、農業経営者の有志の方々や市が新サービスエリア構想の初期段階から、これを地域振興に活かすべく「アグリキャンプ」をテーマに農商工連携(6次産業化)を考える研究会を立ち上げ活動を続けてこられたようで、頭が下がります。

我が街では都市経営の感覚が希薄だなあと、勝手に危機感を覚えていましたが、なかなかどうして、我が街も捨てたモンではないなあと嬉しくなった本日でした。

オープンセミナーの後は、前からその先進的取り組みが気になっていました渋谷農園さんをご案内いただき、その先見性に感心した次第。我が街は大丈夫かと気になっていましたが、今日の体験は久々に晴れやかな気分となりました。蓮田市農商工連携協議会、蓮田市環境経済部の皆様お疲れ様でした。

◆マイブーム

レオポルト・モーツアルトはご存知、あのモーツアルトのお父さんですが、実はなかなか良い曲を多数書いていて、その一つ「二本のホルンのための協奏曲 ニ長調」が、モーリス・アンドレのトランペット演奏とともにマイブームです。

中古LPレコードとしてはチョイ高めでしたが、偶然近所のブックオフでゲットして以来、モーリス・アンドレの超絶テクニックとあいまってパパ・モーツアルトに嵌っています。

通常のFの2オクターブ以上(タブン)を何のストレスも無く吹くモーリス・アンドレの超絶テクニックにはため息が出るばかりですが、同時にこの樂曲のオーケストラのハーモニイが、プロコフィエフのピーターと狼の大好きなハーモニイと同じなところもお気に入りです。

天才って、やはりスゴイ!

蛇足:プロコフィエフのピーターと狼ほどオーケストラを美しく鳴らせる曲は無いのでは?と思っているので、あのナレーションが邪魔で仕方ありません。題名の無い音楽会あたりで、ナレーション抜きを演奏してくれまいか・・・。

も一つついでに、我が街蓮田には多くの隠れた演奏家が居ます、彼らが自然体で活躍できる場を設けたい!

大枚はたいた文化会館や設置したスタンウェイをもっと上手く活用できないものか、施設を創って満足では、建設業者の一時的収益のためと思われても仕方あるまい。米百票の精神など何処吹く風、種籾を我先に食ってしまう体質を何とかしなければ、この街の明日はありません!

■週末のポスター貼り

昨年の市長選直後から、毎週末に福田せいじの政治活動ポスターを貼ってきました。基本的にご支援のハガキを頂いた方を訪問しポスター掲示をお願いしてきましたが、年末あたりから、何の縁もゆかりもない方に飛び込みで、ポスター掲示をお願いし始めました。

当然に、かなりの率で門前払いを覚悟しておりましたが、意外や「始めまして、福田せいじと申しますが・・・」と申し上げると、「ああ、ちょっと待ってください」と外に出てきて、必ず言われるのが「残念でしたね、変な邪魔が入らなければねえ、次は頑張ってください」と・・・、変な邪魔とは何のことか分かりませんが、二つ返事でポスター掲示をご了解いただくことがほとんどです。

自分では無名と思っていたので「福田せいじ」ですと告げたとたん、「ああ(あの福田さんね」との反応はとても嬉しい誤算でした。中には応援するからポスターだけではなく福田せいじ後援会連絡所の看板を立てていけ、次は絶対当選しろよと励ましていただく方が少なからずあり、思わず目から汗が出そうになりました。

ところで、ここへ来て急に福田せいじ事務所のFBアクセスが増えてきたのは、選挙が近づいてきたからでしょうか、少なからずの方から最近更新されてませんねと言われ、感心の高さを認識した次第です。

また、「不屈」いいね、次も期待してますよとの励ましも目頭が熱くなります。見ている人はちゃんと見ているのだなあ・・・、改めて不撓不屈の精神で頑張る所存です。

◆同じGDP世界2位でも、かつての日本とはやることが違うなあ・・・

<引用開始>

中国の無人月探査機打ち上げ 月の裏側への着陸目指す

 世界で初めて月の裏側への着陸をめざす中国の無人月探査機「嫦娥(じょうが)4号」が8日未明、四川省の西昌衛星発射センターから打ち上げられた。地球からは見えない月の裏側の謎に迫るため、地形や地下構造などを詳しく調べる予定。資源確保を視野に、米国や日本などとの競争で優位に立つ思惑もありそうだ。(以下略)

<引用終わり>

中国からの出稼ぎ労働者を見ているとなんとなく、まだ日本が優位に立っていると思っている人が多いようですが、ある日気付いたら中国は独自の経済圏域を完成させ、アメリカ盲従の日本は完全に取り残されていた・・・なんていう光景が目に浮かんでしまいます。

実際、中国に行くと社会の歪というか、両足の無い物乞いが繁華街をズリズリと這っていたり、汚水が垂れ流しだったり、ビバリーヒルズを思わせる高級住宅地のチョイ先の団地では地面に直に野菜を並べて売っていたり、風向きによっては呼吸が出来ないほどの煤煙が蔓延したりしています。

こうした先進国が当然に社会全体で対策している負担を後回しにして、かつての日本の戦後復興のように貪欲に経済優先で結果のみを求めた結果なので、いづれ国民一人ひとりが豊かになってきたら、人件費も上がり負うべき社会の負担も重荷となって中国経済も失速するだろうとの思いと期待(?)があるようですが、かの国には島国根性がなく超大国をこれまで維持してきた実績と1億人に一人の人材が日本の12倍もいるのですから、自分達(日本)がそうだったからと、同じように中国も失速するとは限らないでしょう。

残念なのは、こうした状況が見え隠れするのに、現下の日本には天下国家を本気で考えている人は極稀なことです。何処まで行っても島国根性の延長で、身近な個人的体験や感情から中国を嫌い、その感情がバイアスとなって、こうあるべきとの思いとこうだという現実を混同し、日本スゴイ!と自画自賛していても、量では既に中国に負け、いづれ質でも負けてしまうでしょう。

 

http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%ae%e7%84%a1%e4%ba%ba%e6%9c%88%e6%8e%a2%e6%9f%bb%e6%a9%9f%e6%89%93%e3%81%a1%e4%b8%8a%e3%81%92-%e6%9c%88%e3%81%ae%e8%a3%8f%e5%81%b4%e3%81%b8%e3%81%ae%e7%9d%80%e9%99%b8%e7%9b%ae%e6%8c%87%e3%81%99/ar-BBQEmYI?OCID=DELLDHP#page=2

◆タクシー運転手と安田純平氏

韓国映画の【タクシー運転手】のDVDを見ました。

韓国の光州事件という1980年頃の軍事政権下での民衆弾圧の実態を、ドイツ人記者ペーター氏が身分を偽って韓国に潜入し、それを体を張って護った韓国人タクシー運転手達の物語です。

 

タクシー運転手は、最初は単なる小遣い稼ぎで外国人記者を乗せていたのですが、次第に軍事政権の弾圧の酷さに目覚め、何とかこの弾圧の実態を世界に知らしめてもらおうと、命がけで外国人記者を助けるという実話の物語です。

 

自力では民主主義を勝ち得ず、アメリカによって自由主義をもたらせられた日本とは大きな違いです。それ故、韓国の余りにもしつこい日本への戦後補償要求には辟易するものの、民主主義や政治の成熟度ははるかに日本を凌駕している思わざるを得ません。

 

この映画を見て、先ず思ったのは、ドイツ人記者ペーターが氏安田純平氏とダブる事です。

 

ジャーナリストの身分では入国できないので、宣教師と身分を偽ってドイツ人記者は軍事政権による戒厳令下の韓国に潜入し、“弾圧されている国民が体を張って、この実態を世界に広めてほしいとドイツ人記者に託し、”タクシードライバー始め韓国市民が、危険を冒し命をかけて、てこのドイツ人記者を守るのです。

 

普通にこの映画を見ていると、危険を冒して渡航したドイツ人記者は英雄に見えますし、少なくとも日本における安田記者バッシングのようなドイツ人記者の同胞であるドイツ国民が彼を批判するなどということは想像も出来ません。

 

では、自業自得や自己責任として批判を受けている安田純平氏と何が違うのでしょうか。件のドイツ人記者は本国から韓国へ行くなと止められていたか否かは分かりませんが、潜入する相手国から入国拒否されていることは同じ、騒動が起きている地域の市民から実態を世界に知らしめてほしいと思われていることも同じ、違いは現地で逮捕されたか否かですが、それとて現地の人々の手助けで脱出できた点では同じですから、あえて言えばドイツと日本の国民性の違いでしょうか。

 

何故日本人は重箱のど真ん中にてんこ盛された事実即ち「抑圧された市民の実態を世界に報道する行動」を全く評価せず、「渡航禁止された地域に勝手に行った」とか「謝罪や感謝が無い」とかといった重箱の隅ばかりを問題視するのか。

 

日本人は臆病者だけではない、中にはジャーナリストとして政府の制止を振り切って紛争地帯に行った猛者がいて、3年半もの長期にわたり軟禁されて生還したのに、それを喜ぶどころかバッシングするとは・・・、バッシングに血眼になっている人々の価値観はいったい何なんだろうか、そしてそうした人々の価値観の優先順位は何なんだろうか?

 

常に安全なところに身を置き、無難な言動しかせず、他人に対してはプラスの評価はせず減点評価のみで、出る杭を血眼で探し叩く人々なのではないだろうか。

 

以上は、私の主観ではありますが、成功するしないに関わらず、組織や権威などを頼らずに、普通の人がやらないようなチャレンジをしたことが有る人には、ご理解いただけるものと思い書いた次第。

◆安田純平氏批判への違和感

安田純平氏が政府の渡航禁止を批判して勝手に紛争地帯に行って拉致されたことを指し、自己責任とかで批判されていますが、なんと言うかまあ味噌もクソも一緒の話だと思います。何故なら・・・

第1に、彼は戦場ジャーナリストです。我々が知りたい戦場の実態を取材するために政府の制止を振り切って紛争地帯に行ったわけで、物見遊山で行ったのではありません。NPOとかNGOを標榜する素人が勝手に紛争地帯に入り拉致され、身内が何故日本政府は助けないのかと高飛車に文句を言った事案とは全然前提が違い、味噌もクソも一緒になっています。

第2に、安田純平氏は自己責任で行って自己責任で帰ってきているように思います。ネットで流布された動画では確かに助けてくれとは言っていますが、言わされた感が強く、暗号で(要求を)6446無視しろと伝えているとのこと。何より泣き叫んで懇願している様子もなく毅然としていたのが印象的です。

但しこの辺は正確な情報が判然としないのであくまで私の主観です。安田純平氏が助けてくれといっていたことを額面通り厳格に受け止めるならば、そもそもウマルなる韓国人としての訴えであり安田純平としてではないし、日本政府は身代金要求には一切応じなかったという話も額面通り受け取らなければおかしい。とすれば、安田純平氏が助けてくれと言ったことは日本政府にも我々日本人にも何ら関わりが無く、単に多くの日本人が関心を示しただけと言うことなので、自己責任云々で彼を批判するのはお門違いもいいとこでしょう。

要するに、安田純平氏が勝手に危険地帯に渡航し取材し、勝手にゲリラに捕まり、勝手に釈放されてきたわけで、これといって日本政府の手を煩わせたわけでも迷惑をかけたわけでもないので、まさに自己責任で完結していることを、何故こうも批判されるのか、ヘンな話と思った次第。

そして、日本人の情報源は彼の取材以外に無い上、同胞である日本人が特段の迷惑も損もこうむってもいないのに彼をバッシングする様は、外から見れば異様に見えるのではないでしょうか。

これは安田純平氏にとっても、批判する人々即ち日本人にとっても不利益しかかもたらさず実に不幸なことです。

日本政府は、こうした拉致に身代金を払わないと言明していますので、今後もその方針を守り、渡航禁止区域に行くならば自己責任として関知しないことを改めて言明すればよいだけのように思います。

◆ 自分の目で確かめる~その2

少し前、FB友達が引用していたサイトの記事に沖縄知事選における玉城デニー氏の選挙違反の数々として、違反ポスターが那覇市内に溢れていて、選管に野放しで良いのかと訴えた、というような内容が書かれていました。

読んですぐに違和感を覚えたのが、文章には「ポスターが市内に溢れ」と違反でも何でもない事を書き、違反を思わせる電柱への掲示写真を挿入することで、あたかも違反ポスターが溢れているように思わせる書き方でした。

で、バカンスに行く途中9/13告示後の15日に沖縄に立ち寄り実際に確かめてみると、少なくとも私が見て回った那覇市、糸満市、名護市から国頭村にかけてでは、この記事とは真逆で、佐喜真淳氏の2連ポスターがそこいら中の電柱に掲示されていました。対して玉城デニー氏の2連ポスターは那覇市内では見ることはできず、糸満市では散見したものの、そこには違反警告が張られていました。

玉城デニー氏の2連ポスターの選挙違反の数々を糾弾するかのような書き方の記事でしたが、事実は真逆で圧倒的に佐喜真淳氏の2連ポスターが都市部始め地方部まで電柱に掲示され、さらには名護市ではデカデカと一人ポスターと思しき横断幕まで目立つ交差点に掲示されていて、こんなのアリ?と唖然とした次第。

では玉城デニー氏は全く違反していないのかと言えばさにあらず、地方部では撤去忘れのように電柱に2連ポスターが散見されたので、沖縄のローカルルールでは選挙期間中の2連ポスターはおろか公共物である電柱への掲示もOKなのかと目を白黒させた次第、いったい公職選挙法はどうなっているのでしょうか?

もっと驚いたのは、糸満市では玉城氏のポスターには撤去警告が張られ、佐喜真氏は沖縄中全く野放しどころか名護市ではどでかい横断幕までゆるされている事で、圧倒的な力の差が見てとれ、あたかも玉城デニー氏が弾圧を受けているような印象で、政権与党ならなんでもやりたい放題なのかと、暗澹たる気分になりました。

ここで沸いた疑問が二つありました。一つ目は、佐喜真氏を勝たせたいにしてもFB始めネット上では玉城陣営が違反をしまくっているとの情報は、実態を知らない県外の人は信じても有権者である現地沖縄の市民は現実を知っているわけで、いったい何の意味があるのか不思議でなりませんでした。

二つ目は、これだけ違反をやっている佐喜真氏が何の咎めも受けず、散見される撤去忘れのような玉城デニー氏のポスターには違反警告のシールが張られていることに対し沖縄の有権者はどう感じているのかです。

ついでに言えば、玉城氏は弱小政党の後押しで国会議員の職を辞しての立候補に対し、佐喜真氏は政権与党の後押しで市長職を辞しての立候補ですから、この意気込みの差、賭しているものの差を有権者はどう捕らえているのかも興味が尽きないものでした。

他県の知事選なので、当方の関知するところではありませんが、既に出た選挙結果がこの疑問への回答であり、私は玉城氏を応援した野党を支持もしませんが、ああ沖縄県民は良識的な判断を下したのだなあとつくづく思いました。

(補足)

【2連ポスター】=選挙半年前から選挙告示までの間は、候補者一人のポスターは禁止、ポスター1枚に2人以上が印刷されたもの(これを2連ポスターという)のみが政治活動として掲示が許される。選挙告示から投票日までの選挙期間中は候補者名の入ったポスターの掲示は禁止、役所が設置した選挙ポスター掲示板のみにA3サイズの選挙ポスターのみ掲示可。ところが、佐喜真候補は2人ポスターはおろか、一人のみの横断幕をでかでかと掲げていてお咎めなし、かたや玉城候補の2連ポスターには警告のシールが張られていて、とても公明・公平な選挙が行われている雰囲気には程遠いものでした。

【電柱への掲示】=選挙活動は勿論政治活動の2連ポスターの電柱などの公共物への掲示は違法です。ただし公選法はグレーゾーンだらけなので、沖縄県のローカルルールではアリなのかと思いましたが、玉城候補の2連ポスターには違法ゆえ撤去せよとの警告文が貼られていました。選挙期間中の2連ポスターが違反なのか、電柱への掲示が違反なのかはあるいは両方なのかは不明ですが、もっと大々的にやっている佐喜真候補はお咎めなしでした。

【公選法違反】=公選法はグレーゾーンだらけゆえ、検挙もグレーだらけで、官憲の思惑で簡単に逮捕されてしまいます。故に本稿もいくら事実でも選挙期間中では、後でどんな言い掛かりを付けられるか分からず、君子危うき近づかずで、選挙終了後にアップした次第。

■思いが強すぎると・・・

<引用開始>
金平茂紀「翁長知事の壮絶な死去をうけ沖縄県知事選挙は前倒しになった」

CM明け

玉城デニー「私は翁長雄志知事の遺志をしっかりと引き継いだ!」#報道特集 は翁長前知事の死を強調した後に、玉城デニーの選挙運動の様子を放送。
特定の候補者を応援しようと意思が露骨すぎる
<引用終わり>

玉城デニーが「私は翁長雄志知事の遺志をしっかりと引き継いだ!」と演説している事を報道することが何故「特定の候補者を応援しようと意思が露骨すぎる」となるのでしょうか?

文を理解できず単語に反応するデニー嫌いには受けるでしょうが、同じく単語に反応するデニー好きは対立陣営の報道に対し応援していると騒ぐのでしょうか?

「特定の候補者を応援しようと意思が露骨すぎる」のはデニー嫌いの思いが強すぎるこの記事の作者自身では?

論理の余りの程度の低さに絶句した次第。

(他所の県のことなのでどなたが勝とうと関知しません、本稿の論点は結論(=主張や批判)に至る論理構造ですので念のため)

TBS『報道特集』の沖縄県知事選に関する報道、特定の候補者を応援しようという意思が露骨すぎると話題に…

 

◆もしかしたら世界の歴史を変える街づくり?

  街づくりのプロとして私が今最も注目している街は、昨年訪問したアムステルダムから電車で約1時間の南東50kmに位置するアメルスフォルト市からバスで30分ほどのニューランド地区(Amersfoort,The Nieuwland)ニュータウンの北部にあるワーカルカルティエール・エリアです。

太陽光発電住宅の数こそ太田市の城西の杜に負けますが、太陽光発電を最初から計画した街づくりとしては随一です。国土がほとんど平坦な低地ゆえ、水が豊かで移動のエネルギーも最小限で済む地形に加え、各戸でエネルギーの自給が出来ることは、安定した生活がおくれる可能性があります。

私の研究は、これをもっと推し進めた、CO2削減とともにライフラインとエネルギーを恒久的に自給できる街づくりの研究ですが、これは戦争の原因を考えれば都市の構造自体が世界平和実現の可能性を担保できるものです。

このようなことは国家の命題であり自治体の仕事では無さそうですが、国家には原子力村など様々な利権やシガラミがあり、実現は困難でしょう。

ゆえに、むしろ一地方自治体がこれをケーススタディとして実現してしまい、コトバだけではなく真に持続可能な繁栄を実現して、この様子を世界に情報発信し、こういう街づくりがあったのか、こういう人類の発展があったのかということを世界に知らしめたいというのが、私が市長を目指す動機です。

そんな大きな話は市民には理解できないから、もっと卑近な話をしろとよくたしなめられます。ですが自動車やTVの普及が人々の生活様態をがらりと変えたように、エネルギーの自立が実現すれば国土の基本的な構造や世界の領土に対する価値観をがらりと変え、これまで多くの賢者達が社会システムの変更ではなし得なかった世界平和と持続可能な繁栄を現実のものに出来ます。

我が街蓮田市は残念ながら、ご指摘受けるように、このような大きな話は理解されないのも事実、それどころか小さな街の中で小さな利権に群がり街の発展をほとんど誰も考えず、それ故首都圏にあって穴場的に利便性が高いにもかかわらず、人口減少し衰退し続けています。

これを食い止め、街を発展させるには、これまでの単なる言葉遊びのような街づくりでは無理であり、それこそ日本中どころか世界がアッというような具体的政策が必要で、そのコアとなるものです。

■生活保護を目の敵にする愚

 

 

よく年金より給付額が高いからと生活保護を目の敵にする方がいますが見当違いでしょう。

 

40年間、毎月まじめに年金の支払いをした自営業者の年金給付額が月額6万5千円。一方年金の支払いをしなかった人の生活保護が月額17万円、と聞けば怒る気持ちも分からなくも無いのですが、全く別の話です。

 

怒るなら、生活保護が高いと怒るのではなく、年金が安すぎることを怒るべきでしょう。何しろ何十年と老後のために年金を強制的に支払わされてきたのに、憲法で保障された最低限度の生活のための生活保護より安いのですから、怒る方向が違います。

 

そもそも生活保護の金額を下げたり打ち切ったからとて、それで年金生活がよくなるわけではありません。

 

年金と言う名のペテンを国家がやっているのに、ペテン師にやっかみ心を操られて、怒りの矛先をより弱いものに向けているに過ぎません。いい加減乗せられてることに気づくべきです。

 

繰り返します。

生活保護が年金より高いと文句を言っても自分の生活は何もよくなりません。言うべきは自分の生活をよくしろ!なのです。