◆君死にたまふことなかれ

この与謝野晶子の詩の一説はあまりにも有名ですが、高校生の頃このフレーズの本当の意味を知らなかった私は今は亡き母から、「これは反戦歌で直接読めば天皇批判とも受け取れる」と教えられました。

当時は、単に英雄に憧れる心理でゲバラに憧れていた私は、今とは比較にならない天皇を頂点とする軍国主義真っただ中にあって旅順攻略戦に加わっていた弟の身を案じた詩を詠んだ与謝野晶子に、ゲバラやカストロのような派手なドンパチこそないけれどスゲーとたまげました。

ちなみに特にタマゲタのはその3連目で「すめらみことは戦いに おおみずからは出でまさね(天皇は戦争に自ら出かけられない)」と唱っている部分です。

当時は70年安保騒動の真っただ中でしたので、よけいにたまげました。なぜかと言うと、当時高校生だった私は毎週繰り広げられていた新宿駅騒動にやじ馬で参加したり、訳も分からず学生運動の集会に参加して、先輩たちに話を聞くとどうも70年安保そのものをよく理解していないことが分かり、親や社会の庇護の下で、庇護を受けている相手に駄々こねているだけの革命ごっこだなあと呆れていたので、胆の据わった与謝野晶子に驚いたのです。

以来、齢半世紀を重ね自分の人生を振り返ると、当時流行っていてよく人に叫んでいた「日和っているー」との批判言葉は、ゲバラや与謝野晶子に憧れながらも彼らの足元にも爪の垢ほどのこともできなかった自分にこそ向けられるコトバであると実感しています。

あ、念のため言いますとゲバラや与謝野晶子に憧れたからと言ってゲリラになったり文芸家になるという意味ではありません。権力や権威に屈することなく己の信念を貫き通すその生き様に憧れたという意味です。

こうした反省もあって、せめて自分が歩んできた人生で身に着けたノウハウを最後は社会のお役に立てたいとの思いがあり、50代で大学院に入りそれまでのまちづくりの経験を体系的にまとめる研究をし、それをさらに地域に役立てるために市長を目指した次第です。

研究までは自分でできることですが、市長になるのは市民の皆様の合意が無ければ勝手には出来ませんので、次の市長選でどうなるかは分かりませんがどういう結果であろうと、それが私が提示した新たな問題意識に対する市民の評価ですから楽しみです。

もし勝てば、街づくりの専門家として、こんな地方政治があったのかと歴史に残る地方政治で皆を驚かせますし、もし負ければ私の理想は単なる独りよがりにすぎないことが分かるので、それも真理追及故有難いことと思っています。

【本文】

君死にたまふことなかれ   

旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて

   與 謝 野 晶 子

あゝをとうとよ、君を泣く、

君死にたまふことなかれ、

末に生れし君なれば

親のなさけはまさりしも、

親は刃(やいば)をにぎらせて

人を殺せとをしへしや、

人を殺して死ねよとて

二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの

舊家(きうか)をほこるあるじにて

親の名を繼ぐ君なれば、

君死にたまふことなかれ、

旅順の城はほろぶとも、

ほろびずとても、何事ぞ、

君は知らじな、あきびとの

家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、

すめらみことは、戰ひに

おほみづからは出でまさね、

かたみに人の血を流し、

獸(けもの)の道に死ねよとは、

死ぬるを人のほまれとは、

大みこゝろの深ければ

もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。

◆相手が悪い

菅総理は、悪い相手と喧嘩してしまったと思います。相手の生活権を脅かす人事権を握った上で専門バカと思しき学者の一人二人を狙い撃ちするならともかく、日本学術会議は日本の英知を集めた集団ですから、その辺のクマ公ハチ公の与太話レベルで喧嘩しても到底太刀打ちできないでしょう。

先の拙タイムラインで、大西教授が6人の任命拒否の理由を求めた事が凄まじい破壊力と評したことはその一例です。

官邸からはやれ日本学術会議の予算が政府から出ているとか、答申が出てないとか、はたまたネトウヨさんたちは日本学術会議をつぶせ等々、日本学術会議批判に一生懸命ですが、全て論点外ですから「はあ、それで?聞いてるのは任命拒否の理由なんですが」でオワリです。

法律を含む学術界のあらゆる分野の当代一流の学者の集まりですから、素人向けの法律論をかざしてもすぐに論破されてしまいます。

推測ですが、菅総理は政府批判をした学者を任命拒否すれば日本の学術界を意のままにできると思ったのでしょう。ですがそのような圧力が効くのは、例えば組織の長が部下の人事権を行使するなど相手に対して生殺与奪できる脅しの場合です。

職を失ったり出世が閉ざされたら、普通は生活に困るし人生設計に影響が出るので圧力となりますが、学術会議会員各位はいづれも各分野における当代一流の学者ですし、日本学術会議の手当てで生活しているわけでもないので、任命拒否されてもおそらく痛くもかゆくもないでしょう。

ですが個人レベルでは痛くもかゆくもないけれど、個人の問題ではなくもっと大きな法制度の観点では大問題なので、拒否された各個人も組織としての日本学術会議も売られた喧嘩は買わざるを得ないことになります。

かような訳で、菅総理は政府批判に対して従来通りの人事権行使の感覚で日本学術会議に圧力を加えたつもりだったのでしょうが、全くの的外れでしかも官邸スタッフや配下の官僚たちの知恵を結集しても太刀打できる相手ではないので、喧嘩を売った相手が悪すぎたということです。

菅総理としてはカッコつかないでしょうが、早い段階で白旗を上げなければ、どんどん泥沼にはまっていくでしょう。繰り返しますが、ケンカ売った相手は日本の英知集団で国会における与野党の論戦とはレベルが違いますから、下記引用記事にあるように99人のリストしか見てないなどと下手な言い訳を駆使すればするほど突っ込まれ菅首相の首が締まることを自覚すべきと、老婆心ながら心配する次第。

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4099708.html

◆議員でも職員の意識改革ができる


とは思ってもみませんでした。なので、もし私が市長になったなら、まずはここから始めようと考えていたのですが、この9月議会で気付いたのは、議員でも市役所職員の意識改革はできるのだとの手ごたえでした。


1年前の9月議会では、補正予算の組み方があまりにもズサンなので、それを追求し反対討論を行いました。例えば3か年の債務負担行為の予算取の理由を聞くと単年度より安上がりというので、単年度の見積もりと3か年の見積もりの単価を問うと同じだったり、ボーリングなどの調査内容を聞くと答えられなかったりと呆れてしまいました。


何より、リースの無駄を追求し、実際に起債と比べてどれくらい市の予算に無駄が生じるかを示し、12月議会でも引き続き追求しました。こうしたことは、血税を使っているとの意識があれば、あり得ないことで、そこを先ず理解してほしくて追求した次第です。


昨年の12月議会では、ついに過ちを認める答弁を引き出しまし、その結果、あれほどあったリースがすっかり無くなり、一部では未だあるものの追求したところ、継続契約への追加だったり他に選択肢が無い状況等が分かりましたし、予算の取り方も昨年のようないい加減なものはすっかり無くなりました。


これは嬉しい誤算でした。議会でこっぴどく追及されれば、さすがに同じことはやらないようで、本当に意識が変わったかは心の内を見たわけではないので何とも言えませんが、少なくとも昨年のようないい加減な補正予算要求が無くなったことは事実です。


昨年は今までこんないい加減なことがまかり通っていたのかと市長のリーダーシップに呆れ、これが職員上がりの市長の限界かと思ったのですが、考えてみれば市長にそこまで職員の作業内容をチェックすることは不可能で、むしろ予算内容のチェックや審議は議会の仕事ですから、どちらかと言えば議会がチェック機能をはたして来なかったということかもしれません。


議員が、支援者の要望を通そうと議会で質問する限り、市政を変えることなど到底不可能ですし、心ある有権者は「議員が生業ということか」と呆れています。


私はコロナ禍までは毎月のように開いていた講演や議会報告会において、「皆様のご要望でも特定個別の事案については取り上げません、あくまで市政全体にかかわる事案のみ取り上げます」宣言してきましたが、この考えは今後も変わりません。

福田の一般質問は9月15日(火)の4番手


遅ればせながら本日、読売新聞系列に折り込んだ議会報告チラシです。ちょっとした手違いで、朝日系列は一般質問当日の火曜日になります。


まだ読売系列だけなんですが、朝から電話が鳴りやみません、既得権益に切り込むので嫌がらせが来ると覚悟していたのですが一件もなく、期待してるぞ!とのお電話ばかりなのはうれしい誤算です。


しばらくコロナ禍では報告会や講演が出来ず議会報告をさぼっていましたので、皆様待ちわびていたとのこと。とてもありがたいことですが反省しなければなりません。
講演は今後もしばらく出来そうもありませんので、この9月議会が終わりましたらすぐにチラシにてご報告する予定です。


私の一般質問は9月15日(火)の4番手です。登壇時間が読めないので傍聴される方には、お待ちいただくことが予想されますが、コロナ禍で入場者制限あり先着順ですし、感染防止のためにもインターネット・ライブ中継をご覧ください。(「蓮田市議会インターネット中継」で検索)

◆前提条件

議論や質問には、当然に前提となるシチュエーションがありますので、その前提が変われば主張や答えも変わるはずです。例えば食欲有りますかとの問いに、空腹時と満腹時では違う答えになりますよね。

コロナ第2波到来か、との議論を聞いていると、どうもこの前提条件が無視されているように思います。確かに感染者数は第1波を超える勢いですが、死者数は圧倒的に少ないままですから。

第1波即ち緊急事態宣言の時と現在ではPCR検査の受検条件が変わり検査数が圧倒的に増えていますから、感染者数を測る前提が違います。異なる検査条件での陽性者数だけを比べてもあまり意味があるとは言えないでしょう。

一方第1波と現在の死者数は、第1波時の方がPCR検査数が少ないので、コロナ死者が別の病気にカウントされる可能性は現在より第1波時の方があるはずなので、死者数は現在の方が確実に少ないのではないでしょうか。

同じ前提の数字を無視して、前提が異なる数字の比較で大騒ぎするのは馬鹿げたことだと思った次第。安心は禁物ですが、ただヒステリックに恐れるのではなく、事実を把握したうえで正しく恐れ、対処すべきです。

◆【閑話休題】進化に合ってない!

せっかくの4連休も毎日雨で、ちょいの間庭いじりしたら、無茶苦茶蚊に刺されました。いや痒いのなんの我が家の蚊さんは強烈でぼこぼこにされたカンジです。こんな時いつも思うのは何故蚊に刺されると痒いのかという生物進化への疑問です。

だって蜂などが刺すのは、身を守るためですよね、だから攻撃してくる相手に痛みを与えるわけで、さらに次に出会ったとき相手はコイツを攻撃すると痛い目にあうから止めとこうと抑止力となって身を守るわけです。

ところが蚊さんの場合、刺すのは攻撃ではなく自分のお食事なわけで、人サマから血をチューチュー吸った挙句、後に痒みを残すのは何とも恩知らずで可愛くないから、人は蚊に刺されると、ペシッとやるわけですが、じゃいったい何のために蚊さんは、痒くするのでしょうかね?

進化の過程で、より環境に順応し生存力を高めるならば、血を吸った相手に痒みを与えるのはマイナスで、蚊に刺されたらいい気持ちになるとか、少なくとも何も感じなければペシッとやられる危険性がなくなるわけで、絶対こっちのほうが蚊さんにとって良いはず。

なのに何の利益もないばかりかわざわざペシッとやられる身の危険を創っているわけですから、進化の論理に反して逆行です。

蚊さん、キミたち間違ってるよ、痒くするの止めたら、安心してお食事できるのになんで?

てなことを、毎度蚊に刺されるたびに思うのですが・・・

そう思いながら、刺され続ける私も進化ないか。

◆中国のしたたかさと日本の平和ボケ

主張の是非はともかく、日本がコロナ一色で右往左往しているドサクサにこういう動きを忘れないとはたいしたもの。アメリカさんの庇護頼りの日本に比べ、この国家意識は見習いたいものです。

なにしろ、コロナ禍は中国の方がはるかに深刻なはずなのに、このしたたかさには舌を巻きます。

というか日本が平和ボケというか内向き過ぎでは?

このところの政府のGo toキャンペーンのごたごたを見ていると、この国の危機管理が心配になってきます。

まあ、国会議員でもないので、心配するだけで何も出来ないのがもどかしいのですが・・・、

https://news.livedoor.com/article/detail/18599757/

◆重箱のど真ん中

 もうずいぶん前、3月頃に書いたと思うのですが、「圧倒的に多いインフルエンザの死者に騒がず、コロナばかり取り上げるのはおかしい」とか「所詮風邪の一種だ、恐るるに足りない」といった声がありますが、各国がコロナに躍起になっているのはウイルスの正体が不明で、ワクチンや特効薬がなく、感染拡大の予測がつきにくいからだ、と書きました。 これ今も同じ考えを私は持っています。

この記事にあるように仮に見方によってインフルエンザより危険度が低かったとしても、現時点で4.2パーセントの死ぬ確率で治療薬もないことが決定的な違いで問題だからです。 早期発見胃がんの5年死亡率(∴5年生存率95.9%)とほぼ同じです。

前提が違うので単純比較は意味ありませんが死ぬ確率の恐怖は同じなので、治療薬が無いのにこれを平気でいられる人は、よほど度胸があるのでしょうが、癌と違いコロナは他人にうつしますから、これを果たして度胸と言えるかどうか。

https://medley.life/news/5e390f2d6158e140a8122862/

◆公人が考えるべき危機管理

危機管理とは危機が発生した場合の影響を最小限にし、速やかに危機からの脱出・回復を図ることです。ですから市政を担う市長や議員等の公人の危機発生時における責務は、最低限その影響を見積もり・把握して、今後の悪影響を最小限にとどめ、受けた被害から回復する策を講じることです。

このことを理解できていれば平時の価値観や習慣に基づく思考や行動は愚の骨頂であることが分かるはずです。 このことについて少し長くなりますが、お話します。

私の専門は街づくりですが、常に街づくり関係のビッグプロジェクトに関っていたこともあって、特にここ10年は街づくり業務を遂行する上での危機管理がメインの仕事となっています。

危機管理とは前述の通り、大雑把に言えば、危機が発生した場合の影響を最小限にし、速やかに危機からの脱出・回復を図ることです。学術的には予防も含むので、予測対応が主のリスク管理との区別が分かり難くなりますが、先ずは発生した危機に対する対応が主たる内容でしょう。

街づくりのビッグプロジェクトにおける責任者としては、頻繁に発生する計画や設計をはじめとする業務遂行上のリスク管理や発生した危機に対しての迅速な対応が私の任務となっています。

危機管理(Crisis Management)が現に起きた危機への対応が主であるのに対し、リスク管理(risk management)はこれから起きるリスクへの対応になりますので、予想リスクの回避・削減・保有・移転などがその内容となります。

これは技術士の場合の言い方で、分野によっては表現が少し変わったり、項目が増えたりしますが、基本的なところは同じでリスク管理の基本中の基本の素養です。 このリスクの回避・削減・保有・移転については話し出すとキリが無くなるので、いづれ別の機会にお知らせしますが、聞けば目からウロコですので、よろしかったらネットで検索してみてください。

私は平成7~9年に某省を始めとする数々の防災業務計画や危機管理マニュアルを作成して以来、定期的にこうした業務に関わってきましたが、官民共に組織においてはこうした初歩の知識すらほとんど無いことが普通です。

これは非常に残念なことですが、おそらく平和憲法の下、長らく平和ボケしてきたこととあながち無関係ではないような気がします。とにかく官民に関わらず危機に対しての認識の甘さは絶望的です。

例えば、この6月議会での私の一般質問で、「緊急事態下で3密回避が叫ばれている中、全員協議会を何故招集したのか」を質問したところ、市長は「緊急事態宣言があり、議会と情報共有のため。」と回答。 さらに「緊急事態での3蜜となる会議招集は感染防止に反するが」と問うと、「考え方が違う、情報交換は顔を合わせて行うべきだ。」との答えが返ってきて絶句してしまいました。

恐らく市長自身は、大真面目に答えているのだと思いますが「顔を合わせて」と胸を張って言うところは、完全に平時の一般論ですから、今般のコロナ危機ではリスクアセスメントの概念すらないのでしょう。

つまり何が問題なのか把握できていないのです。 完全に平時の習慣や価値判断基準でものを考えています。そのせいか、常に行動が他の自治体のマネに終始し危機対応の原理原則には全く無頓着に見えます。

例えば、3月議会において全員協議会で執行部職員が各部のコロナ対策を説明する際いくらでもスペースがあるのに肩寄せあっていたことはその一例で、私が注意するまで、間隔を広げようともせず感染対策を論じていた様は笑えない冗談です。

今般のコロナ禍に関して、直接の感染対策の検討を素人があれこれ考えるのはお門違いですから、もっぱら市政関係者が考えるべきことは、コロナ禍が市民生活に与える影響を見積もり、その原因を把握して分かる範囲での対応策を考えることです。

先ず考えるべきは市民の生命の安全確保ですから、最低限度市議会の活動が感染源になってはならないことはいちいち議論することではないはずですが、これを言ったときある市議は、それでは感染したら罪だというのかと言うので、これまた絶句してしまいました。

どこまで行っても、根本となる「市民の生命の安全確保」の意識が無いからです。その意識があれば、議員はじめ市政関係者が感染回避できることをせずに(←ココ重要)感染してしまったら、即時隔離しない限り感染した瞬間から感染源となりウイルスを市中にまき散らし加害者となることくらい理解できるはずです。

件の市議には悪気はなく、一般論としての「感染者に罪は無い」を、一般市民に様々な自粛を要請している者としての特殊界に当てはめてしまっていることに気付いていません。つまり感染することがいけないのではなく、議会活動で感染することがいけない事なのです。

感染拡大という非常事態は、自然災害や戦争などの物的破壊といったこれまで想定してきた危機とは異なり、感染者が被害をもたらすという明らかな現実を、従来想定してきた物的被害をもたらす危機と混同しています。

ですから、「議員としてその使命を全うするために、危険を冒して」でも議会や会議には参加しなくてはならないと思っているようです。 この「危険を冒して」の考えは間違っていませんが、あくまでそれは、その危険が自分だけにとどまる場合の話です。

弾幕を潜り抜け敵陣に突撃して負傷しても負傷は自分だけですから英雄となりますが、ウイルスが蔓延する所に突撃しても、感染を広げ、味方【=市民】を危険に晒します。

どうも、この区別ができてなくて、「危険」を冒すことが良いことと勘違いしているようなのです。危険を冒して英雄になるのは上記のように危険を冒したことが人々に安全をもたらす場合であって、危険を冒すことで人々を危険に晒してしまうのは身勝手というものです。

かような考え方で果たして市民の生命を守ることができるのでしょうか。平時の考えで「危険」を冒してまで責任を果たすのだというのは、狭い視野で自分の事しか考えていないヒロイズムでしかありません。

以上

念のため補足:私は本文中にも明確に書きましたが、市長や市議と言った市政関係の公人が感染してしまう事は批判していません。議会活動例えば様々な会議体に参加することでクラスターとなることは絶対に避けなければならないと言っています。くれぐれも「感染すること」と「議会活動で感染すること」を区別されますよう。

◆過ちては改むるに憚ること勿れ

【読み】 あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ  

【意味】 過ちを犯したことに気づいたら、体裁や対面などにとらわれず、ただちに改めるべきだという戒め。

という訳で、今議会で議員提出議案として提出予定だった議会の委員会をTV会議で開催可能とする委員会条例改正案の提出を撤回しました。

これまで蓮田議会や市政執行部へさんざん提案してきた、感染拡大防止のためのTV会議導入でしたが、第2波が来る前に議会BCPの一環として、この条例改正は喫緊の課題です。

このため、委員会条例の改正案文を研究しリーガルチェックした上で、議員全員の提案とすべく会派代表者会議で提案してきたのですが反応は今一つでした。

ならば、我が会派だけの提案とし、新聞記者を呼び誰が反対するのか取り上げてもらおうと考えたのですが、その前に念のため会派代表者会議を自分の目と耳で確かめたところ、どうも聞いていた印象とは違って、各代表の主張はいちいち納得できるものばかりでしたので、ひょっとしたら自分が間違っているのではないかとの疑念が湧きました。

しかも議案提出予定の議会最終日の2日前に特別委員会を開いて、これまで我が会派が主張してきた審議員報酬廃止と共に議会BCPを最優先課題として審議するとのこと。

であればその2日後に条例改正案を私が議員提案すると宣言するのは、議員各位を無視する行為であり、大変に失礼な行為であるので、各会派代表者に非礼を詫びて議案提出を撤回する旨お伝えしました。

そもそもが、緊急事態であったので、条例改正はいつやるかと言えば「今でしょ」と考えていたのですが、緊急事態は解除され、県をまたぐ移動自粛も解除されたので考える前提条件が変わりました。

前提条件が変われば結論も変わるのは当然のこと。加えてもともと委員会にTV会議を導入しても本会議は従来通りの実態会議でしかできない事から条例改正は中途半端でもあったし、今議会中に全会派で議論するのですから、自らの議案提出に拘る必要性は無くなりました。

願わくば、提出予定だった条例改正案を皆さんで議論いただき、これで良いではないか全議員で提案しようとなってくれれば良いなあとは思いますが、誰の案でもなく我が街にとって最も良い案として皆が納得することこそが重要なので、再度の緊急事態宣言にはしばらくなりそうもないこと考えれば、今議会への上程にはこだわる必要は無さそうです。

という訳で、私は蓮田市議会各会派を誤解していたので、「過ちては改むるに憚ること勿れ」で、議案提案を見送った次第。 条例改正案は前例が無く、改正案文の研究は結構大変でしたが、たたき台にでもなれば本望です。