◆トリアージ

いよいよトリアージの段階が近づいてきたようですが、批判文化が蔓延した現下の日本で果たして優先順位を誰が付けられるのでしょうか。以下ご説明。

マスク2枚の各住所への配布もエイプリルフールかと思うものの、特段に害がある方策でもないのに鬼の首を取ったかのように騒ぐ様子を見ると、上記の思いがますます強くなります。

現下の日本の悲劇は、この批判文化の蔓延かと思います。 再三申し上げているように、定量的なリスクアセスメントの結果が責任ある立場・組織から示されてこない状況では、この先何をすべきか何をしてはいけないか、責任もって判断できない状況が続いています。

マスク2枚配布への揶揄を始め、様々な方が様々な批判や提案をしていますが、さてどこまで責任を持っているのでしょうか、批判を覚悟で言えばどれも責任を持っていない以上はクソ情報かと思います。

例えば、ネットで流布されている現下のアメリカの状況は2週間後の日本だとする主張は、簡単に具体的にイメージ出来て、とても説得力がありますが、ふと考えると数週間前の日米の状況は逆転していたので、時系列を根拠としているこの理屈は論理矛盾です。

では日本だけが外国ほどのパンデミックになっていない状況を評価できるかと言えば、検査が十分に実施されていない以上信用はできません。結局何が事実なのか分りません。

一月前の学校休校要請の時はその後の2週間がヤマと言われていましたが、本当の山は今から2週間でしょう。その結果日本が現在のアメリカの状況にならなければ、日本のコロナ対策方針が成果があると言う事でしょう。

そうなればネトウヨは狂喜乱舞し、ネトサヨは地団駄踏んで悔しがるでしょうが、事実認識にはどうでも良いことです。 大事なことはそこでやっと、定量的なリスクアセスメントとその結果を受けてのリスク対策の方針に信憑性が出てくると言う事です。

もしも、ネットで流布されているように、二週間後の日本が現在のアメリカ特にニューヨークの状況になったならば、病床増や人工呼吸器の十分な準備がされていない以上、トリアージが必要になりますが、冒頭申し上げたように、批判文化が蔓延する現下の日本では、いったい誰がその優先順位判断をするのでしょうか。

いかなる適切な優先順位判断をしようとも、人でなしとの批判は免れないでしょう。その状況は想像するだに恐ろしい事ですが、それは直面する現状の恐ろしさは元より、国防の観点から致命的な我が国の統治機構の弱点を内外に晒す事の恐ろしさにあります。

長年、緊急事態に対する業務に従事し、その中でも危機管理に従事してきた経験からは、学術的な危機管理やリスクマネジメントのメソッドとは別に、実務では実に不可解な現象があって、緊急事態であればあるほど緊急事態を平常時の感覚で捉え、手続きや書式に平常時以上に拘る人が必ず居ることを経験しており、それを危惧します。

例えば、トリアージを実施しても目の前に死にそうな人がいるのに、手続きや書式に拘り、手当できたときには患者が死んでいたと言う状況が目に浮かぶのです。

◆危機管理・リスクマネジメント

私は阪神淡路大震災直後の平成7年に、某省の防災業務計画改定に関わり、そこで緊急行動マニュアルを提案し、それ以来今日まで常に危機管理やリスクマネジメントを業務遂行に際し意識してきましたし実際にここ10年は危機管理が業務の中心でもありました。

その後日本技術士会もこれを専門分野に取り入れたようで、現在では総合技術管理部門の項目に組み込まれています。

平成7年当時は、危機管理やリスクマネジメントは言葉としてはありましたが、あまり一般的ではなく、それは現在でもあまり変わりは無いようではありますが、先の東日本大震災ではかなり浸透してきて、以前はBCP何それだったのが結構一般的に認知度が上がってきたようです。

危機管理やリスクマネジメントの法体系やメソッドについては私のFBで過去何度か書いてきましたので省略しますが、経験上言える危機管理の要諦は一般的なメソッドとは異なり、正確な事実の把握です。

何か突発的な事態が発生した場合、上がってくる情報はほとんど9割がジャマな情報で先ず行うべきリスクアセスメントを誤認させるものというのを経験的に知りました。

そこで、ふと思うのですが今般の新型コロナ騒動では、専門家会議に危機管理等の専門家は入っているのだろうかとの疑問です。素人が余計な口を挟むべきではないので具体的な指摘は控えますが、ひょっとしたら医療の専門家だけなんじゃなかろかと思うことがしばしばあります。

現状のリスクアセスメントはどうなっているのか、国としてどうとらえているのか。医療崩壊の可能性が有ることまでは分るのですが、それは大雑把過ぎてもう少し緻密なアセスメントを知りたいと思うのは私だけでしょうか。

例えば医療崩壊が起きると言う話も、何というかすごく定性的で、定量的な根拠が希薄過ぎると思うので、そんなんで国家的危機に対応できるのかと訝ってしまいます。

◆重箱のど真ん中 にてんこ盛りの事実・・・、

それは新型コロナの治療法がなく、死亡する可能性が有ること。だから世界中がパニックになっているのでは(←ここ重要)?

にもかかわらず、専門家でもない有名人が、やれインフルエンザと大差ないとか、インフルエンザの方が死亡者が多いとか、あろうことか公人たる人物までがTVで持論を展開していますが、いったい何を論点にして何を言いたいのやら。

そもそも、感染の検査が満足にできないのだから感染の実態が分るはずもないことは専門知識とは全く無関係に分る事、それとも検査はできないが受検者数と感染者数の比率で実態が推計できるとでも?母数が不明な統計に信憑性は有り得ません。

実態の感染者数が不明な上、治療法も分らないのに根拠不明な致死率を上げて安全云々を言うのは一体何が目的の主張なのか。そんな重箱の隅をほじって、ど真ん中にてんこ盛りの「治療法が無い、対処療法しか無い」という事実を見ようとしないのは全く理解に苦しみます。

感染経路が不明な感染実態が徐々に明らかになってきているのだから、どこで感染してもおかしくないはず。マスクが感染予防に効果が無いと言われたからとて、マスクが感染の原因ではない限り外す理由にはならないでしょう。

やらないよりはましなことなら、やるべきでしょう。やらないよりはマシ或いはやっても意味が無いこととは、やってはいけない事ではないはず。

新型コロナに感染しても風邪と同じ程度で間違いなく回復するであれば大したリスクではないけれど、死亡する可能性が有り治療法が無いのですから。

市民の安全を守る立場からは、外出しない事のデメリットが極端に大きくない限り不要不急の外出は控えるよう訴えるべきですし、学校閉鎖も、あくまでできる限りですが、感染予防にマイナスでないなら続けるべきだと思う次第。

◆コロナ騒動に見る国家の統治と地方自治~その2

私は表題のタイムライン記事を3/1にアップしました。その中で、日本国の統治機構の中の地方政府の一員たる議員としては、よほどの確証が無い限り国家的緊急事態においては中央政府からの学校閉鎖等の要請には従うべきとの考えを記述しました。

この考えは今も今後も変わりありません。 このことを英国艦隊の見敵必戦を例に挙げ、行動の基本原則としてお示しましたが、自分の行動原則の大要を再整理すれば以下の通りです。

【公人として】

①中央政府→地方政府>議員とのガバナンスは守る。 ②上記は無定見に付和雷同するものではないが、異論を唱える場合は原則方針決定まで、方針決定後の異論主張は、客観的根拠と整理された論理を示して国民国家に損害があると主張できる場合に限る。

【私人として】

あくまで私人としての見解であることを前提にしたうえで、私人として普通に得られる情報を元に見解を述べる。

以上が結論、時間のある方は以下もどうぞ。

今日は、以上を念頭に学校閉鎖や各組織における会議集会中止について、3/1と同じ事を再び書きます。

1.公人と私人

先ず、論を進める上での前提を明らかにしておきます。私の見解は福田聖次個人の感じるところによる私人としてのそれと、地方議員である公人としての見解の2つがあります。

私人としては、今般のコロナ騒動における政府の行動、特に初動体制は、話しにならないほどお粗末だと思っています。

その理由は報道から得た情報で考える限り、武漢からの観光客を受け入れたり、その後の客船騒動に見る後手後手の対応から、誰しも思うであろうこと故です。

ですが、こうした思いはTV等の報道からの印象であって、報道は各社まちまちで、情報が限られた上に、責任の所在がハッキリしない主観的な意見が混在しています。

つまり3/1のタイムラインでも書きましたが、得られる情報自体の精度が不明な上、それを受け取る側が素人なので所詮クマ公ハチ公の与太話の域を出ていません。

このことは恐らく、私を含め市民の皆さんは勿論、各自治体の首長や幹部職員とて同じでしょう。とはいえ恐らく夫々の立場・地位によっては得る情報の精度にはかなりの違いがあり、恐らくTVのコメンテーター達も中央政府の関係者ほどの情報を持ち合わせていないのではないでしょうか。

それ故、私人としては政府の後手後手の対応には呆れてものも言えないという気がしますが、中央政府から地方政府に至る統治機構の一員として組み込まれた公人たる地方議員としては、物申すだけの正確な情報も知識も無い以上は、国家的危機に対する中央政府からの要請が出た以上はそれにしたがって行動することが第一と考える次第です。

勿論このことは、中央政府に対して無定見に付和雷同するということでは有りません。自分にそれなりの情報と見識があれば、当然に物申すべきと考えます。

2.地方自治体として対応すべきこと

以上の前提で、地方政府の一員即ち地方自治体の一員として今般のコロナ騒動に対する自治体の取るべき行動について考えてみましょう。この場合考えるべき視点は2つあると思います。

一つは、何をさておいても市民の安全確保の視点。二つ目は自治体としての組織防衛即ち批判に対するリスク管理による市民からの自治体に対する信頼性確保の視点です。

2-1. 市民の安全確保の視点

先ず市民の安全確保という視点で我が街蓮田市のとるべき行動について考えてみましょう。結論を言えば、私の知る限りの情報や知識では、自信を持って何を優先して行動すべきかは断定できません。

恐らく市長はじめ執行部各位は一議員即ち市民に過ぎない私よりは詳細な情報を持っているでしょう、ですがそれを判断できる知識があるとも思えません。

ゆえに私の判断とは50歩100歩ではないでしょうか。 となれば、市民の安全確保を第一に考えるならば、素人判断を避け専門家あるいはより責任を持った組織の考えに従うべきでしょう。

分かりもしないのに我が市は学校閉鎖をしないなどといった判断をもし下すならば無責任極まりないでしょう。 勿論、国の判断を上回る独自の情報や見識があれば、逆に違う対応を行って全国民と中央政府に範を示すことは、付和雷同するよりはるかに必要且つ重要なことですが、果たしてそんな判断を下せるような情報と見識を持った自治体があるのでしょうか。

2-2.組織防衛

組織防衛と言うと、なにやら保身に聞こえてしまいますが、納税者が直接関わる地方自治体への信頼性確保のことで、納税者が直接税を払う自分の自治体の施策が信頼できるか否かは、とても大事なことです。

いい加減な公共政策を実施し、市民生活に悪影響を与えるような自治体には、誰しも税を納めたくはないでしょう。 そこで、このコロナ騒動における学校閉鎖の是非について考えて見ましょう。

実際の感染の因果関係のことではありません、ここでの論点は自治体の施策に対する市民の評価や信頼性確保のことです。

3/1にも書きましたが、中央政府が学校閉鎖を要請しているのにそれに応じなかった場合何が起きるかです。

もし学校閉鎖で感染拡大に歯止めが掛かって収束に向かった場合、学校閉鎖は批判されるでしょうか、学校閉鎖の効果があったとなり学校閉鎖措置が批判されることは無いはずです。同じく結果オーライで学校閉鎖しなかった自治体も特段に批判もされないでしょう。これは感染拡大に歯止めが掛からなかった場合でも同じでしょう。

しかし、もし学校閉鎖しなかった自治体に感染者が出てきたならばどうなるでしょうか。これといった感染拡大防止に対する独自のメソッドに対する公に認知された評価が無いのですから、自治体の根拠無き勝手な判断として、これに対する批判は免れないはずです。

勿論、学校閉鎖実施の有無とその地域への感染者出現の因果関係が明らかにされない限り、学校閉鎖しないことが感染者出現の原因とはいえませんが、果たして世間はそんな論理的思考をするでしょうか(絶対に原因ではないことも証明困難でしょうし)。

ところで、発生が見込まれるリスクに対するリスクへの対応方針(=リスク評価)には、①リスク保有、②リスク低減、③リスク回避、④リスク移転があります。このうちリスク回避とは保険を掛けたりして、リスクを自分の所から他に移転してしまうことです。

今般の学校閉鎖は中央政府からの要請なので、当然に学校閉鎖によって起こりうるリスクは要請した中央政府にあり、いわば自治体から見れば責任を問われるリスクが中央政府にあるわけで、これを拒否するならばその結果起こりうるリスクをわざわざ自分の側に移転することになるので、これは地方政府のリスク管理としては愚策といえましょう。

◆国家経営と太陽光

 太陽光発電は日本が世界をリードしていた分野。資源の無い日本は、ここにこそ力を注ぐべきなのに、原子力村温存に力を注ぎ、今や中国に置いて行かれています。取り返しのつかないところに近づいているのではと思います。

約10年前、東大GCOEの一環で訪中した際、今は退官されたI教授から突然あなたの研究は中国にこそふさわしいので、ここで発表しなさいと言われ、急遽某工科大学で研究発表をしましたが、その時はお世辞だろうと思っていた地方政府役人からの好評価は、今思えばたぶん真に関心があったのだろうと思います。

あの当時の中国は太陽光発電技術では日本に追いつき追い越せから、じわじわ追い越し始めた時だったのですが、今やはるか先に行ってしまったようです。

国家経営を考えるとき、日本の政治家はあまりこうしたことに関心が無く、地位保全にしか関心ないように思えます。

【追記】以下、余談・・・

まあ、かく言う私も地方政府においてはその端くれなんですが、自分ではその責任範囲で、自分の街の発展を第一に考えているつもりです。

以前は、そんなあなたの理想なんて市民にはどうせわからないから、中身よりも挨拶、組織や有力者のバックアップが大事なんだ、とよく言われましたが、ここへきて急に話を聞いていただけるようになってきました。

この動きが一部のものか否かは、2年後の市長選の結果次第でしょう。つまり市長となって日本全国に都市経営の範を示し、地方から国家経営の在り方に一石を投じたいと思っていますが、そうしたことよりも個人あるいは組織の利益や挨拶があるとかないとかを市民が重視するならば、私を応援しても個人的利益は一切ないので、おそらく私の芽は無いと思われるからです。

https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1912/17/news046.html

◆コロナ騒動に見る国家の統治と地方自治

 間接的ですが、会派の同僚議員から、S議員から議会一般質問を中止してはどうかと打診されたとのこと。理由はともかく結論を言えば賛成です。それどころか来年度予算は暫定的に成立させ議会そのものを中止すべきと考えます。

話は変わりますが、英国海軍の伝統に見敵必戦があります、何やら合理的な感じよりも精神論でぶつかる旧日本海軍に当てはまりそうな感じですが、とにかく敵を見たらあれこれ迷うなとにかく猪突猛進で戦えと言う思想です。 これが良いかどうかは議論の余地はありそうですが、国家・国民を守ると言う点においては、迷いを生じさせないこのような基本戦略が必要だと考えます。

さて話を戻して、新型コロナウイルスの脅威ですが、これがどれくらいの脅威であるかはともかくも、世界的に流行の兆しが現れ、トランプさんは日本からの渡航禁止も視野に入れているとなると国家の緊急事態であることは間違いなさそうです。

それゆえに、決断の遅さやブレを揶揄されながらも政府は学校閉鎖の勧告をしたのでしょう。 ここで不思議な事は、コロナの危険度の見積もりが未だによく分らないことで、専門家と称する方の中には大したことないと言う人もいます。

では大したことないなら何故政府は各自治体の判断に任せると言いながらも学校閉鎖を要請したのでしょうか。 あれはアベさんの思い付きだよ言う方もいますが、裏には当然に優秀な官僚がいるはずです。

それを主婦の井戸端会議やクマ公ハチ公の与太話レベル同列に断じる根拠は何でしょうか、総じて感じるのは世の中総評論家となって、自分をかなりの高みに置いて自分のレベルで断じているのではないかということです。 私を含めていったいどれほどの情報と見識を持っているのでしょうか。

だから所詮ヨタ話のレベルではないかと思う次第。

たしかに今の政府にどれだけの信頼感があるかと言えば、正直疑問ですし、アベさんが今更学校閉鎖などと言ったところで、へーそうかねとの思いも有りますが、誰が総理であろうとも中央政府は中央政府の役割があり統治機構が働いています、その統治機構の中に地方政府たる自治体が組み込まれています。

中央政府からの最終的に自治体の判断にゆだねると言う言い方は、その統治機構を自ら危うくする無責任な言い方ではありますが、政府の要請は国家の統治機構の中での国家的危機に対する対応方針の政府の判断であることには間違いありません。 私は、この統治機構の中の地方政府の一員たる議員ですから、よほどの確証が無い限り中央政府の要請に従うべきと考えます。

すからもし自分が市長であったなら迷うことなく統治機構に従い学校閉鎖を実行することはもとより、学校閉鎖の主旨は人員の集中による濃厚接触防止にあるのですからあらゆる会議の中止や接客業務においては2m以上の離隔確保に努めるでしょう。 これは良いか悪いかを判断する必要はないと考えます、何故なら自治体にはそんな事を判断できるほどの情報が無いし恐らく見識も無いからです。

であれば英国海軍の見敵必戦同様に、先ずは国家の統治機構に従い必要と要請された施策の実施を最優先させ、政府に対する意見なり要望があるならば実施に際しての障害の撤去の為であるべきです。

具体的には、濃厚接触の防止が行動の目的ですから、学校閉鎖は当然として、学童も例外であるはずがないので、先ずは学童の親の休業補償の早急な具体策を中央政府に要求するとともに、その間に学童を預かざるを得ない場合の緊急対応としては、自治体独自に出来る判断として学校施設の解放で空間拡大による濃厚接触防止を図るべきです。

これらと同様の目的であらゆる場面での濃厚接触を回避する一環で、議会も中止すべきと考えます。この場合来年度予算は成立させなければなりませんので暫定的に可決し、議事もメーリングリストやラインなどを活用し必要に応じて暫定的に議論すべきでしょう。

全員協議会で、議員と執行部が狭い会議室に詰めるなどという事はもってのほか。故に議会は中止すべきです。

さて、では議会が中止された場合、市民の反応はどうなるでしょうか。おそらく議会は不要不急ではないから開催すべきであると批判されるでしょう。

では濃厚接触を避けるとの国家的緊急事態への優先的対応策はどうなるのでしょうか。答えは両立させればよいわけですからこれこそテレワークしかありません、つまりネットの活用です。という訳で上記の結論になります。

ちなみに、独自の判断で学校閉鎖をしない自治体がありますが、万が一濃厚接触による感染拡大が起きたとき、いったい首長さんはどう責任を取るのでしょう。危機管理の観点からは2つの視点つまり①市民の安全確保②組織防衛の観点から疑問を禁じ得ません。

一見英断にも見えますが、感染の可能性が有る中での政府の要請に反して独自の施策を取ると言う事はリスクに対する責任を国から自治体に移転してしまっており、リスクを自分に移転しておきながらリスクへの対策を怠っているのです。

こうしたリスクの移転が成立するのは、もともとリスクがその自治体に存在しない場合ですが、ではいかなる根拠で当該自治体にはコロナ感染のリスクが無いと判断できるのでしょうか。私が当該市民であれば、首長さんに先ずその根拠を聞くでしょう。

◆潮目が変わりつつある?

◆潮目が変わりつつある? 昨日つまり2020年2月10日の朝と夜、議会報告ビラ配りで駅立ちしました。既に先月新聞折込で配布したものですが、新聞を取ってない方もおられるし何より意気込みをアピールするには駅立ちが必要だからです。 意外だったことが2つありました。一つは朝の駅立ちでは、東口の2つの階段下と西口に既に他の議員さんがいたこと、これには驚きました。だって次の選挙が終わって1年とたっておらず次の選挙は3年以上先なんですから。 私は議会が終わるごとに、議会報告ビラを配ってきましたが、今回のように他の議員さんとバッティングしたのは初めて。皆さんやる気出してきたなあ。 2つ目は夜西口に立ったのですが、若い方の反応が異常に良かったことと多くの励ましを受けたことです。駅頭でパンフ等を配っているとフン、オマエなんかといった面持ちの方は必ずいますし、今回もそういう方はいましたが市長選や市議選のときの駅立ちと比べるとずいぶん減って「頑張ってください期待してますよ」と声をかけてくださる方が増えたように思いました、やはり無名の人間が駅に立つのと、現役市議となって立つのでは違うようです。 中には、しげしげと私を眺め、ああ、とため息を付く方がいて、あれっどこかでお会いした方かと思い、でも思い出せないのでドギマギしていると、「いや、アナタは人相風体実に立派だ、期待してますよ」と。言われたこちらが赤面してしまう一幕もありました。 全体に、無名の頃と比べ、声をかけてくださる方が格段に多くなったのは嬉しい限り、中でも今回特に驚いたのが、まだ多くはありませんが高校生初め若い方が積極的にビラを受け取り、話しかけてきたことです。 数人の若い女性から切れ目無く話しかけられ、関心を持って頂いた事がとても嬉しく、ついつい話し込んでしまい1時間以上ビラ配りが出来ませんでしたが、話しかけられることは選挙のときもありましたが、昨日のように次々と連続して話しかけられることは有りませんでした。 一例をもって傾向を断じることは出来ませんので、こうした現象が今後も続くかどうかは断定できませんが、朝の駅立ちに少なからずの議員が立っていることとあわせて考えると、我が街蓮田の政治は確実に潮目が変わりつつあるのではないかと思いました。 そして何より嬉しかったのは、選挙のとき私が駅でホームに向かって演説を繰り返していたことを多くの方が覚えていて、口をそろえて「同じように駅に立って、只しゃべっている人はいるが、あなたのように内容のある主張をした人はいなかった」と言っていただけたことです。 確かに、私の電車と電車の合間にホームに向かって演説するスタイルは常に時間が不定でアドリブな上、聴衆はじっと聞いているので、ただしゃべっているだけでは逆効果で、いったいどれだけ自分の演説が受けているのか考えると非常に不安でした。 何しろ、電車を待っている方に向かって演説するので街宣車のように単語をかいつまんで聞いているのではなく、ほぼ確実に相手はコチラの話を文脈として聞いているので、限られた時間で一言でも詰まると論理が破綻し何を言っているのかわからなくなるからです。 実際、毎回うまくいくわけではなく、ああー余計なことを言ったなあとか、あれ?肝心なことを言い忘れて意味不明じゃないかと反省しつつ、すいませーんも一度やり直しまーすなってことは出来ないので、やらないほうが良かったかなと思うこともしばしばでした。 ま、何はともあれ妨害されることはあってもマネをされることは有りませんでしたので、今後もこれを私の持ち味として継続するつもりです。

◆成人式

昨日は、蓮田市の成人式に出席してきました。勿論来賓の1人としてですが、当事者として出席したことが昨日のように思い出されます(何、図々しい?)。光陰矢のごとしとはよく言ったものですが、新成人は平成21年生まれと聞いてさらに驚きました。

 

もう一つの驚きは、その成人式に親が結構臨席していたことです。良い悪いではなく、まあこれは時代の流れなんでしょう、驚く私が既に古いと認識すべきと思った次第。

 

ところで20年前、ノストラダムスの大予言では地球は滅ぶはずでしたが、何とか生きながらえております、タブンこれからも何だかんだ言いながら、人類は繁栄していくのでしょう・・・

 

と言いたいけれど、さてどうなることやら。

◆目的と手段

先週金曜日をもって、12月議会が終了し、議会報告原稿を書いているところです。私は次期市長を目指し市議になったこともあり、そのご期待に応えるべくこれまで必ず議会報告会や市政勉強会を毎月開催してきましたが、おかげさまで参加者は増え続け次への確かな手ごたえを感じています。

その一方で、矛盾する感覚もあります。私は市長になることが目的ではなく、市政を正しく導くことが目的であり、市長はその目的実現のための手段の一つと考えています。それゆえ、市長になるためには妥協しろといわれると、時に反論したくなり実際反論してきたからです。

政治活動をするうえでの私の行動基準は当選することではなく、市政にプラスになるか否かですのでプラスになる妥協ならば受け入れますが、プラスにならなかったり害があることは受け入れることが出来ません。

例えば、当選以来益々様々な方からのコンタクトがあり、電話が無い日は有りません。これは私への期待故と考え当初は全てお聞きしていましたが、中には個人の勝手な思い込みや恨みからの現市政への批判も少なからず有ります。

私は前回の市長選に出たわけですから現市長は私の政敵となるからか、現市長の悪口を散々に言うのはまあ、その方の勝手ですが客観的事実に基づかない批判には組みするわけには参りませんし、それに雷同し議会で質問するなどもってのほかです。

ところが、こうした事を私に話してくる方は、我が街を良くするためではなく、個人的思い込みと恨みが原点ですから、私が同意しなければ怒り出しますし、中には福田を支持してきたのに挨拶が無いと怒鳴る方もいます。いづれにしても我が街にプラスになるとは思えません。

市長に当選することを目的にすれば、こうした方々の機嫌を損ねないようにしなければならないのでしょうが、先に述べたように私の目的と行動規範は「市政を正しく導くこと」ですのでこれらの意見には組せず、このため当然にこうした人々は私からは離反していくのでしょう。

その一方で、熱烈なる支持者の方々も少なからずいて、この1年の議員活動報告を通じて益々増加しているので、確かな手ごたえを感じているわけですが、そのことはおそらく他から見ても分かることでしょうから、私が市政にプラスにならないからと反論した場合「調子に乗っている」と益々反感をかうかも知れません。ま、この辺は悩ましいところではあるのですが、目的を忘れ妥協してしまっては意味が無いので割り切るしか有りません。

少し安心したのは「挨拶が無い」「少しは妥協しろ」と憤慨していた古くから私の熱心な支援者に、私がそんなことをしたら私が市長を目指す意味がなくなり、今までと何ら変わらなくなると反論したら、それからそうしたことを言わなくなったことです。勿論今も熱烈にご支援いただいております。

以上、本日ちょいと長めのツブヤキでした。さて議会報告原稿に戻ろうか・・・いや、「これがレポートと違って全階層を想定するので結構タイヘンなのです。

○福田聖次が語る蓮田の未来

□日時:11月17日(日)13時~
□場所:中央図書館視聴覚室

 

◆ロボットと経済

貨幣理論を勉強し出したのは20年位前だったでしょうか、まったくの素人ゆえお金は政府が印刷するものだと思っていたので、信用創造を知った時はへーっと驚きました。と同時に経済活動による付加価値創造と貨幣の関係がよく分らず今日まで来ました。

 

ハッキリ記憶有りませんが、10年前くらいからMMT理論のはしりみたいなことをよく聞くようになり、昨年あたりから急にMMTが取りざたされて、普通に会話に出てくるようになったように思います。

 

何故貨幣理論を勉強し出したかと言えば、火事でお金を燃やしちゃったらその価値はどこへ行ってしまうのだろうかとの疑問からでした。信用創造の仕組みを知った時この疑問が解決したかと言えば解決しませんでした。

 

以来、今も疑問に思うのは、もしもロボットがどんどん高性能になって、ロボット自身がロボットを設計し人間以上に生産性の高いロボットを生産できるようになった時、貨幣の価値はどうなるのだろうかとの疑問です。これは全く荒唐無稽の話ではなく、近い将来現実になるのではないかと思っています。

 

今は、人間自体が機械以上の生産能力を有しているので、富によって人間の差別化が図られていますが、機械即ちロボットが人間以上の生産能力を有するようになれば人が人を雇用する必要は無くなるので、人を差別化する富の概念は無くなるのではないでしょうか。

 

たとえて言うならば、人は神のごとき存在となり神同士の貧富の差は無くなると言うものです。

 

社会保障システムがセーフティーネットとしての機能を十分に果たせなければ、過渡的には、生産性の低い人々はのたれ死にして淘汰され、生き残った人々は人間以上の生産能力を有したロボットを皆有し、いわば貴族のようなあるいは神のような何不自由無い生活が出来る事でしょう。

 

もしも現在のように生産能力の差で人の差別化が図られるとしても、それぞれの人々が望むだけのロボットを有し望むだけの生産をして、望むだけの生産品に囲まれたリッチな生活が出来るのですから、それでも人々の間に貧富の差があるとすれば、所有するロボット自体がリサイクルや素材も発達させ望むだけロボットを製造するので生産手段ではなくエネルギー所有量の差となるでしょう。

 

ですが、そうしたことによる貧富の差も、もしエネルギーも誰もが無限に手に入るようになれば、単にある尺度で人に勝ちたいだけの思い込みでしかないでしょう。

 

10年ほど前にそう思い至り、自分の専門である街づくりの分野で、恒久的エネルギーによる完全にインフラとエネルギー供給が自立した都市が出来ないものかと考え、ちょっと大げさですが石油を巡っての戦争を不要にする1000年持続可能な都市の実現のための研究をしようと東大大学院に入学しました。

 

研究のアウトラインは、すぐに出来上がり後は実証実験をするのみとなり、実証実験をしてくれる鉄道会社の協力も得、さあ開始と言うところで東日本大震災が起き説明困難な事情から計画が頓挫。この状態から早8年が過ぎましたが、この間復興事業に関わってしまったことから多忙を極め、研究結果を論文にまとめる事がこれまた頓挫してしまいました。

 

ならば、他を頼るより自分のスキルを活かし実現したほうが早かろうと思い至りました。という訳で私は、現在自分が住んでいる蓮田市の次期市長を目指していますが、その目的の一つは、自然エネルギーによる完全自立都市のモデルを実現し、世界にエネルギーを巡っての戦争の無意味さを実証することにあります。

 

冒頭述べたように、そう遠くない将来貨幣所有による貧富の差は意味をなさなくなりそのきっかけは、ロボットの高性能化と私が夢に描く外部からのエネルギー供給不要な自立都市であると、構想を夢見ている次第。

 

昨今の批判文化に席巻されたこの国においては、令和のドン・キホーテと揶揄されそうですが、この構想にはトレードオフの要素がないのでダメ元なうえ、批判をことごとく論破する自信があります。令和のドン・キホーテにご期待ください、なにしろ何かを犠牲にする訳ではないのでダメで元々ですから。

 

街論私が市長を目指すのは、これだけが目的ではありません。我が街を住みよい街、住んで自慢できる街にすることです。蓮田を世界一と自慢できる街にする方策が今述べたことです。では住みよい街にするには?こうしたビジョンを下記日程で語りますので、皆様是非ご参加ください。

 

○福田聖次が語る蓮田の未来

□日時:11月17日(日)13時~

□場所:中央図書館視聴覚室